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平成のはじまりは「大型クイズの時代」だった

道蔦 僕も水津さんも、それぞれの番組で活躍していましたが、ちょうど「史上最強」が始まる頃って、割とテレビのクイズ番組が少なくなっていた時期だったんです。そんな時にTBSから「日本一のクイズ王を決定する番組をやりたい」と相談が来まして。最初は「出場してください」というお話だったんですが、話を聞くとどうやら中身もルールも決まっていない。「じゃあ、僕が裏方に回りましょうか」って申し出て、クイズの作成からクイズ形式の考案まで携わることになったんです。

水津 あの番組は第2回以降、全国から集まったクイズの猛者たちが予選を戦い、本選に出場して勝ち抜いた人がディフェンディングチャンピオンと決勝で戦うシステムでしたよね。ああいうのも道蔦さんが考えたんだ。

 

道蔦 そうですね。TBSが「史上最強」、その翌年90年からフジテレビが『FNS1億2000万人のクイズ王決定戦』を開始、日テレは『ウルトラクイズ』がありましたから、大型クイズの時代が平成初期にやってきたことになります。

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水津 そんな中、私は道蔦さんの掌の中で踊っていたわけ(笑)。

道蔦 いえいえ、そんなことないです。「史上最強」の第1回は名だたるクイズマニア7人と石坂浩二さんを招待して、その名の通り「クイズ王決定戦」を企画したんです。水津さんのことは存じ上げていたから、是非とお願いして出場していただいた。そして見事、初代チャンピオンに輝いた。

「史上最強」は苦しかった。だって、白っぽい問題が多いんだもの

水津 第1回出場者には『ウルトラクイズ』優勝者が3人いましたよね。第1回優勝の松尾清三さん、第2回の北川宣浩さん、第10回の森田敬和さん。そういう中で、私は大きなタイトルを持っていなかったから、番組側としてはちょっと想定外だったんじゃないですか。「パネル」は2回優勝しているけど、他のタイトルっていったってフジテレビで毎晩やっていた『クイズグランプリ』とか、あとはテレビ神奈川でやってた……。

道蔦 『クイズバトンタッチ』。

水津 ああそれ。私、準優勝とかが多くて、優勝があんまりないんですよ。『タイムショック』なんて11問正解しているのに、同点決勝で負けちゃった。だから、「史上最強」の優勝タイトルというのは貴重っちゃあ貴重ですねえ。

道蔦 裏方として心がけたのは、格調高い問題を出すことでした。それまでのクイズには出されなかったような、問題文は分かりやすいんだけど答えが出てこない、でも答えを聞くとみんなが納得するようなものを目指していました。

 

水津 でも道蔦さんの問題にはずいぶん苦しみましたよ。特に私が第1回のチャンピオンになってからの2回以降、私に負けてくれって言っているような問題、たくさん出されましたもの。もうね、スタッフの意図が見え見え(笑)。早く主役を交代して、番組に大きなストーリーを作りたいのね。

道蔦 そんなに水津さんをターゲットにしていたつもりはないけどなあ(笑)。

水津 だってさ、白っぽい問題が多いんだもの。つまり、カタカナが多い問題、答えがカタカナである問題。逆に黒っぽい問題というのは、漢字が多い問題。文章にして目にすれば、漢字の多い問題は総画数も多いし「黒い」でしょう。