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「はい、ワグネリアンです。」

道蔦 確かに水津さんは「黒っぽい」ほうが得意ではありますもんね。もちろん第1回、大木一美さんとの決勝では「はい、ワグネリアンです。」って答えて優勝を決めていますから、全く苦手というわけではないにしても。

水津 私は出版社で校閲の仕事をしていたんですが、その出版社は主に古美術や刀剣、仏教なんかの本を扱うところだったんです。それで自然と、そっちのほうの知識は身についていたんですね。だから中国古典の問題なんて出てくると、私の方が強いんです。たとえその相手が、やがてチャンピオンの椅子を交互にする西村顕治にしても。ところが流行語だ、ファッションだなんていう問題になると、私にわかるわけがない。

 

道蔦 将棋の問題はお得意ですよね。

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水津 黒っぽいし、それに私は将棋が大好きだから。

道蔦 水津さんといえば、常に扇子を手にしているのがいつもの姿でしたが、今日お持ちのは……。

 

水津 これは森内俊之さんの紫綬褒章受章記念で頂戴したものです。森内さんは「パネル」で優勝経験もあるくらいクイズの実力がある方でしょう。実はお母様もクイズファンで、なぜか親子揃って私に注目していたらしい。それで森内さんがまだ20代前半の頃だったかな、年賀状が突然届いたんです。私は羽生さんより森内さんの棋風が好きだったくらいでしたから、もう嬉しくてね。それで交流が始まったんです。西村の家にも一緒に行ったこと、あるんじゃないかな。

道蔦 その時、僕も一緒だったと思いますよ(笑)。

「ポロロッカ0.9秒」西村顕治の神業とは何だったのか

水津 そうだったか(笑)。しかし西村の早押しスピードというのは異常だったよね。

道蔦 世に言う「ポロロッカ0.9秒」ですね。「史上最強」の早押しクイズパートで、西村さんが「アマゾン川で……」と問題が読み上げられて0.9秒後に「ポロロッカ」と正解した、あのシーン。

水津 まず手が動いているんだな、西村の場合は。

 

道蔦 あれは早いというより、決断力のなせる技なんですよ。西村君は「これだ」と決め打ちしたら絶対に押す。そして、その決断には確度がある。そして押してから頭を整理しているところもある。

水津 「早押しが苦手な水津さん」って番組で紹介されることがよくあったんですけど、私だって早押しは苦手というわけではないんです。今でこそ、あんまり手が動かなくなってしまったけどね。とはいえ、西村を前にしてはそう思われても仕方がない。そういう神業なんですよね、西村の早押しは。

道蔦 早押しボタンの形って、クイズ番組によって違うじゃないですか。「史上最強」のボタンは押し心地どうでしたか? あれはでっかいキノコ型のものでしたけど。

水津 何せ普段練習しているボタンではないから、簡単ではなかったですね。それに私は左利きですから、突っ込んでいくような強い押し方ができないんです。それでちょっと独特の押し方に見えたんでしょう。

道蔦 「水津押し」。手前に引くような感じのスタイルでした。対して西村君のは「パーーンッ!」って押し出す感じでした。

手前が西村顕治さん。奥から道蔦岳史さん、石野まゆみさん(『当たってくだけろ』収録時、石野まゆみさん提供)

水津 早押し機で思い出すのは、銀座の有名な鮨屋さんの「寿司幸」。そこのご次男がクイズマニアなんだけど、職人にならず「電気屋さん」になったんですよ。で、その人が私たちが早押しで遊べるようにって、4人用の早押し機を作ってくれたことがあった。

道蔦 そんなことがあったんですか。

水津 そりゃあもう、ずいぶん前の話ですよ。でもおそらく、あれが日本初の一般家庭用早押し機だったんじゃないかな(笑)。

道蔦 いやあ、そのエピソードがクイズになりそうな話ですね(笑)。

後編につづく

 

写真=鈴木七絵/文藝春秋

すいつ・やすお/1949年生まれ。出版社勤務のかたわら、TBS『史上最強のクイズ王決定戦』の初代チャンピオンとなり、のちに日本クイズ史では語り草となる「水津・西村時代」を牽引した。

みちつた・たけし/1962年生まれ、横浜市出身。クイズ作家。『クイズ$ミリオネア』、『クイズ! ヘキサゴン』などを手がけ、現在は『オールスター感謝祭』、『Qさま!』、『クイズ! 脳ベルSHOW』を担当中。ネット環境の成長とともにクイズコミニュティの拡大にも関わる。