「めったに表に出なくなった」伝説のクイズ王・水津康夫さんが、信頼するクイズ王の友人・道蔦岳史さんを相手についに語る! 後編も“クイズの怪物・西村顕治”との「名勝負・名場面」をたっぷりとお話しいただきました。あの「水津・西村時代」の全貌が今、明らかに! (前編からつづく)
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水津vs.西村は「2勝2敗」の互角だった
道蔦 水津さんが「クイズ王」として大きな注目を浴びるきっかけになったのが、私が出題者として携わっていたTBSの『史上最強のクイズ王決定戦』。あらためて振り返ってみると、89年に初代チャンピオンに輝いた水津さんは、93年までの全9回の放送のうち、実に4回の優勝を果たしているんです。これはすごい。
水津 あの番組の思い出は何かって聞かれたら、それは西村顕治という「怪物」との戦いに尽きます。当時彼は25歳から28歳の頃ですよね。さて西村と決勝で直接対決したのは何回くらいあったかな。
道蔦 4回です。で、お互い2勝2敗。まさに互角です。
水津 そうだったか。それは番組としても非常に幸運なことですよね、それだけのシーソーゲームになっていたのなら。
道蔦 全9回の優勝者を言えば、水津、西村、水津、水津、西村、西村、西村、西村、水津。まさに約4年にわたる「水津・西村時代」なんです。あの頃は、様々なクイズ番組が登場して、いわゆるクイズ王ブームの時代でもあったわけですが、水津さんの生活にも少し影響があったんじゃないですか?
水津 まあ、大阪に出かけたときに、知らないおばちゃんから「あんた、テレビ出とる人や!」って声がかかりはしましたけど。ああ、住んでいる松本市から市民ナントカ賞のようなものをいただいたことがあったような。