最後の優勝、その後の「西村顕治」
道蔦 水津・西村対決で、僕が思い出すのはやっぱり最後の戦い、第9回の決勝です。早押しの鬼だった西村君が珍しく調子を崩して、水津さんが4点先取するという幕開けで。
水津 覚えてますよ。珍しいことになっちゃったなって、思った。あの日、西村の体調があんまりよくなかったのも事実。でも、そのまま私がリードして、“苦しみのカプセルクイズ”でも順調に答えることができた。
道蔦 そして「五臓六腑と表現される人間の内臓のうち、実際には体の中にはない臓器といえば何?」という問題に西村君が観念したように「脾臓……」と答え、水津さんが「はい。三焦(さんしょう)。」と冷静に答えて優勝を決めるわけです。
水津 まさに「黒っぽい問題」で最後の優勝を決めたことになるのか。
道蔦 “永遠のライバル”とも言うべき西村君とは最近は……。
水津 「会ったといえば、会った」程度です。彼はもう、クイズ界から足を洗っていますから。
道蔦 僕も『当たってくだけろ』という、クイズ王とタレントが対決するクイズ番組で西村君と一緒に出演していたことがありますが、とにかく強すぎるし、正解した時の何ともいえない不遜な表情がね(笑)。だから「悪役」として重宝されていましたよね。
水津 西村はね、本当に負けず嫌いなの。彼とは「史上最強」でぶつかり合う前からクイズ仲間として知り合っていたし、一緒に遊ぶこともあったけど、私らが出した問題に答えられないと明らかにムッとした表情になる。
道蔦 ハハハハ。そういう人ですよね。
水津 それで私が調子に乗って能書きを言うとね、「ハァ、ハァ」って聞いてはいるんだけど、目が笑ってないの(笑)。
道蔦 西村君にとっては、非常に楽しかった思い出になっているでしょうね。
水津 彼の家に行ったこともありますよ。そこで何人かで昔の「パネル」(『アタック25』のこと)のビデオを見て遊んだ。
道蔦 ビデオ見ながら、みんなで早押しするみたいな。80年代のクイズマニアたちって、みんなそんな感じでしたよね。そして90年代に入り、クイズ王ブームが沸き起こる。だから、あの時代のクイズマニアの目標の一つって「カプセルに入りたい!」だったんですよ。ニューヨークに行くよりも、いつか水津・西村と対決したいって(笑)。
あの「クイズ王ブーム」ってのは何だったんだろう
水津 しかし当事者側からすれば、あの「クイズ王ブーム」ってのは何だったんだろうって思いますね。あれから30年くらい経つわけでしょう。ひたすら私たちは答えていただけで、何かを生んだわけでもないし……。
道蔦 ただ、クイズをめぐる環境はあれから30年、確実に変わっていますよね。先日、埼玉の方で中高生のクイズ研究会同士の団体戦大会を見る機会があったんですよ。水津さん、団体ですよ、団体。
水津 中高生の団体がクイズに取り組むのか。それは時代が変わったね。
道蔦 もちろんそれまでにも『高校生クイズ』など団体戦の大会はあったわけですけど、ここまで部活動の延長みたいになっているとは驚きましたね。しかも、熱いんですよ。女の子たちなんか泣きながらやってる(笑)。
水津 クイズなんて、軽く遊ぶくらいのものだったんですがねえ。
道蔦 今は競技クイズって言いかたをしますけど、なんかスポーツっぽくなっている印象です。『ナナマルサンバツ』っていう高校のクイズ研究会を描いた漫画も人気で、クイズの世界に憧れをもつ子どもたちもいるそうです。
水津 憧れかあ。
道蔦 それは水津・西村に憧れて「カプセルクイズ」を目指してた、あの頃のクイズマニアとそんなに変わらない感性かもしれないし、言い方を変えると、『史上最強のクイズ王決定戦』という文化が現在のクイズブームの流れを作ってきたと言えるかもしれないとも思うんです。
水津 クイズを青春にした「諸悪の根源」は、私と西村なのかな(笑)。