宮崎県の沖合に浮かぶ小さな島、築島。漁業で栄え、かつて100人ほどが暮らしていたが現在の住民は実質4人と、ほぼ無人島状態だ(2026年10月時点)。本土との間に定期船は通っておらず、地元に住む宮崎県民でも島の存在を知らない人が多い。
そんな島で生まれ育った男性に、当時の生活事情などを教えてもらった。
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「朝2時起き」で学校に行くことも
――築島さんは、この島で生まれ育ったそうですね。
築島宏樹さん(以下、築島) はい。生まれてから中学を卒業するまでをこの島で過ごし、高校進学を機に島を離れました。その後、愛知や東京での暮らしを経て、数年前に宮崎へ帰ってきました。いまは、宮崎市の青島と、築島との二拠点生活を送っています。仕事はフリーランスのWebマーケターなので、Wi-Fiさえあればどこででも働けるんですよ。
――築島さんが生まれ育った築島とは、どんな島なのでしょうか。
築島 宮崎県串間市の沖にある、小さな島です。昭和の全盛期には100人ほど住んでいたそうですが、いまは4人まで減ってしまいました。島の産業は、ほぼ100%が漁業。漁以外で生計を立てていたのは学校の先生くらいだったのかなと。
――では、築島さんのご両親も漁師だった?
築島 もちろんです。僕も時々ですが、忙しい時期にはお手伝いしていました。漁師の家の1日は、とにかく早くて。漁によっては朝の2時には起きて船を出して、夜明け前から港で網をさばいて。6時頃になると僕も港に降りて一緒にお弁当を食べて、そのまま学校に行く、なんてときもありましたね。
――学校では、どんな生活を送っていたのでしょうか。
築島 子どもの頃は、小さな小学校がありました。僕が小1の頃の全校生徒は、僕を含めて5人。みんな学年もバラバラでしたが、気にせず全員で遊んでいましたね。ただ、小学校5年生のときは、島の小学生が僕1人になってしまって。
――1人ですか。
築島 島には中学校がないから、中学生以上になると、みんな本土の学校に通うんです。だから、島内に遊ぶ人がいなくて。草で遊んだり、秘密基地をつくったり、あとはスーパーファミコンをして遊んでいましたね。当時はさみしい気持ちももちろんありましたが、おかげで1人で遊ぶのが得意になりました(笑)。

