ハードなリハビリを続ける

 なぜ回復が早かったのか。木久扇さん自身は、二つの理由を挙げる。

 一つは、明確な目標の存在だ。

「大きな公演が入っている7月までには治さなくちゃ、と思っていました。ただ元の体に戻るのではなく、目の前のお客さんを笑わせるという日常に戻りたかったんです」

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 もう一つは、長年運動してきて、基礎体力があったことだ。

「僕は骨折する前から毎朝、ラジオ体操をしています。それと高校生の時から剣道をやってきたので、竹刀の素振りを1日40本。切っ先がお尻の割れ目につくまで振りかぶり、大きく振ったら腕を絞るように止めるんです。退院後も、体を動かさなくちゃいけないと思って上半身の運動はすぐ再開しました」

 さらに「とにかく貧乏性でじっとしているのがダメ」という性分で、日常的に歩き回ってきた。骨折した日の買い出しもそうだが、弟子などに使いっ走りをさせることはなく、週刊誌を買いに行ったり銀行に行ったりというちょっとした用事でも、自分で街に繰り出す。

骨折当日の木久扇さんのメモ。「ドン!バタリ、救急車」とある Ⓒ文藝春秋

 骨折から5年経つ今も、週1回、1時間弱のリハビリに通院する。同世代でここまでやる人はいないと医師に言われるほどハードな内容だ。毎回疲れるが、「先生が付きっきりですから贅沢ですよ」と前向きだ。

 木久扇さんは元来、丈夫な体ではないと自覚している。胃がんや喉頭がん、腸閉塞など命に関わる病気をいくつも経験してきたという。

「僕はおかみさん(妻)のおかげで何度も助かっているんです。病気に早く気がついて『お父さん、おかしいわよ。病院へ行ってらっしゃい』と言ってくれる。僕は素直ですからすぐ従います。良いお嫁さんに当たったなと思いますし、結婚して59年、お互いを観察しあう阿吽の呼吸があるのはありがたいですね」

 木久扇さんは「先々(せんせん)の先(せん)」という剣道の言葉を大事にしている。相手の起こりを見極めて、先に仕掛けることを意味する。

※この続きでは、木久扇さんの今後の抱負についても語られています。約8000字の全文は、月刊文藝春秋のウェブメディア『文藝春秋PLUS』と『文藝春秋』2026年10月号に掲載されています(秋山千佳「私たちはこうして骨折から蘇った」)。

文藝春秋

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私たちはこうして骨折から蘇った

出典元

文藝春秋

【文藝春秋 目次】愛子天皇は歴史の必然 保阪正康/転倒・骨折を防ぐ新常識/赤根智子さんの素顔

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