私と遠藤は「2人なんですけどいいですか?」と純然たる客のふりをして奥の席に座った。客はほかに30代とおぼしき女性1人で、常連客なのかリュウと話し込んでいた。黒Tシャツに引き締まった身体のリュウは居酒屋の若大将が板についていたが、整った顔立ちはジュニアだったことを何よりも物語っていた。
私たちは女性客が帰るのを待って話しかけた。店の様子を聞くと、「夏にはかき氷を売っていて、近所の子供たちが食べに来るんですよ」と、地元に馴染んでいる様子が窺えた。
しばらく他愛もない話をした後、私は取材で来たことを切り出した。するとリュウは「あぁ、そうですか」と、さして驚いた様子も見せず、取材に応じてくれた。番組と同様にジャニーがマッサージをしてきて、次第に手が性器まで伸び、ギリギリのところで拒否したと話してくれた。
リュウはジュニア内で組まれるグループのメンバーになったこともあり、嵐のバックダンサーを務めたり、雑誌に登場するなど、活躍した実績があった。デビューできなかったのは拒否したからだと思わないか? 私たちの問いを彼は否定し、「ジャニーさんから見て、おれは輝く光じゃなかった」と言った。事務所に入ったばかりの後輩にデビューを越されたとき、ダンスや歌といった実力だけではない、スター性が必要なのだと実感させられたのだという。
私たちは彼の体験は重要な意味を持つと考えていた。彼が被害に遭いかけたのは15歳か16歳の頃。07年か08年のことだ。つまり、ジャニーと文春の裁判で、性加害を認める判決が確定した後のことである。ジャニーは判決確定後も変わらずジュニアに手を出していたことになる。
ジャニーの自宅マンションで
次にジュンヤの名前で番組に証言した平本淳也に取材した。
80年代にジュニアだった彼は、すでにジャニーの問題に関する有名人だった。というのも、いわゆる“暴露本”を多く出していたからだ。
暴露本とはジャニーの性加害について、元ジャニーズ事務所所属の人間が書いた本を指す。その嚆矢といえるのが、フォーリーブスの北公次によって88年に出版された『光GENJIへ』だ。平本も同書の改稿版で自身が見聞きしたことを語り、96年に自著『ジャニーズのすべて 少年愛の館』を出版している。
知り合いから聞いた平本の携帯電話に連絡すると、横浜駅そばの喫茶店「ルノアール」を指定された。
昼過ぎの店はほぼ満席だった。テーマがテーマなだけに、他の客との距離も近い状況では話しづらいのではと危惧したが、平本は気にするそぶりも見せずに喋った。