「私、貴乃花光司は本日、公益財団法人日本相撲協会に年寄を引退する旨の届を提出いたしました」
9月25日、貴乃花親方が記者会見を開き“電撃引退”を発表した。その後、10月1日に弟子たちの千賀ノ浦部屋への転籍が認められたことで、日本相撲協会の親方職を失職した。1988年の初土俵入りから2003年の引退までに通算794勝を挙げ、22回の幕内最高優勝を果たした「平成の大横綱」の相撲人生はこれで一区切りを迎えた。
“引退会見”から3日後、貴乃花親方は旧知のスポーツジャーナリスト・二宮清純氏にこう心中を吐露していた。
「少しずつ、人生を取り戻せています。ご飯の味、お酒の味……。おいしさを感じるようになったんです。それまではただ寝て、起きてという日々でしたから……」
二宮氏は1990年代前半の「若貴フィーバー」全盛期の頃から、藤島部屋に足を運んでいた。1994年に22歳で横綱に昇進した貴乃花親方に対し、「これからの希望は?」と尋ねるとこんな答えが返ってきたという。
「……早く老人になりたいです」
ハタチを過ぎた頃から感じてきた「綱」の覚悟と重み。貴乃花親方が歩んできた相撲人生はいかなるものだったのか、そしていったい、彼は何と闘い続けてきたのか。
発売中の「文藝春秋」11月号では、貴乃花親方がこれまで二宮氏に明かしてきた本音を交え、彼が歩んできた激動の相撲人生を辿っている。
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