千代はまた、誰かに「お国はどちらですか?」と訊きかれたときには必ず、「岩国です、あの錦帯橋の」と、返答していた。錦帯橋と故郷への深い愛着が感じられる。好きになると深く心を奪われて、我を忘れて没頭してしまうのが彼女の悪い癖。“岩国愛”にもまた、それが垣間見られる。
しかし、故郷への愛着を口にするようになったのは、老境に入るような年齢になってからのことだった。若い頃は故郷について自分から積極的に語ることはない。むしろ、避けていた感じさえある。愛と憎しみは表裏一体。恋愛とは、愛と憎悪の感情が激しくぶつかりあう人間ドラマだ。故郷に対する彼女の思いもまた恋愛に似て、愛着だけではなさそう。複雑な感情が渦巻いていたようだ。
明治30年、造り酒屋の家系に生まれた
明治30年(1897)11月28日、千代は山口県玖珂(くが)郡横山村(現在の住所は岩国市川西町2丁目)の川西に住む宇野俊次(しゅんじ)の長女として生まれた。川西の地名は、錦川の西岸にあることが由来とされる。城下町・岩国を形成する主要地域のひとつだ。
岩国初代藩主となった吉川広家(きっかわひろいえ)は、屏風のように連なる急峻な横山の尾根に岩国城を築いた。山を囲むように蛇行して流れる錦川を天然の外堀に利用し、その南麓に御館と呼ばれた藩主の居館や重臣の屋敷を配置した。ふだんは山麓の屋敷で暮らし、敵が攻めてくれば山頂の城砦(じょうさい)に移って籠城できるようになっている。天下の趨勢が定まった関ヶ原合戦後に、戦国時代の山城と変わらぬ構造だった。
本丸がある横山の頂(いただき)に登れば、城下町が一望できる。山々に囲まれ、蛇行する錦川の両岸にへばりつくようにしてある街並みは、手の中にすっぽりと収まりそうなほどに狭く小さい。それが、千代が愛してやまない“故郷・岩国”の領域だ。
川西と城下町中心部の錦見を結ぶ臥龍橋(がりょうばし)が完成したのは、維新後の明治21年(1888)のこと。この頃になると道路が整備され馬車による輸送が普及するようになるのだが、アーチ構造の錦帯橋だと車両の通行が不可能。そこで臥龍橋を建設することになり、完成後は両岸を結ぶ唯一の馬車ルートとして重宝されるようになった。