1998年にデビューし、「あの紙ヒコーキ くもり空わって」「すべてへ」など数々のヒット曲を生み出したフォークデュオ「19(ジューク)」。NHK紅白歌合戦への出場や日本武道館公演を果たすなど絶大な人気を誇ったが、2002年に惜しまれながら解散した。
あれから20年以上が経った今も、再結成を待ち望むファンは少なくない。
そんな19のメンバーだった岡平健治さん(47)は、デビュー前、アルバイトを掛け持ちしながら音楽活動を続けていた苦労人だった。お金がなく、安い菓子パンを少しずつちぎり、食いつないだこともあったという。
華々しいデビューの裏側で、彼はどんな日々を送っていたのか。そして、19の解散、不動産経営者としての今の生活、再結成への思いとは――。音楽との出会いから現在までを聞いた。(全3回の1回目)
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2万円とギターだけを持って大阪へ
――19としてデビューする前、岡平さんはお一人で広島を離れています。そもそも音楽の道に進んだきっかけは何だったのでしょうか。
岡平健治さん(以下、岡平) 最初のきっかけは12歳のときですね。姉の影響で幼少期からピアノを習って作詞作曲をしていて、「飛んでいきたい」という歌をヤマハのコンテストに出したところ、音楽関係者の方の目に留まって声をかけてもらったんです。ただ、親からは「学業に専念しなさい」と言われて、そのときは芸能界デビューを断念しました。
15歳のときには、今度はビクターエンタテインメントからも声をかけていただいたんですけど、そのときはまだ学生でしたから、すぐに東京へは行けなくて。
――その頃は、どのような音楽活動をされていたのでしょうか。
岡平 音楽のコンクールで賞を取ったり、地元の中国放送のラジオにも出演したりしていました。学生の間では、ちょっとした有名人になっていたと思います。後に相方になる岩瀬敬吾も、それで僕のことを知ってくれていたみたいで。
当時はまだSNSもない時代ですから、地元でちょっと名前が知られるというだけでも大きなことだったんですよね。
学校を卒業して一度は広島で就職したんですけど、「このまま自分の才能を眠らせていいのか」と悩んで、「20歳までにデビューできなかったら諦めよう」と決めました。それで、2万円とギターだけ持って家を出て、大阪に行ったんです。しばらくはお金がないから、ギターで弾き語りをしながら野宿していました。



