1998年にデビューし、「あの紙ヒコーキ くもり空わって」「すべてへ」など数々のヒット曲を生み出したフォークデュオ「19(ジューク)」。NHK紅白歌合戦への出場や日本武道館公演を果たすなど絶大な人気を誇ったが、2002年に惜しまれながら解散した。
あれから20年以上が経った今も、再結成を待ち望むファンは少なくない。
そんな19のメンバーだった岡平健治さん(47)は、デビュー前、アルバイトを掛け持ちしながら音楽活動を続けていた苦労人だった。お金がなく、安い菓子パンを少しずつちぎり、食いつないだこともあったという。
華々しいデビューの裏側で、彼はどんな日々を送っていたのか。そして、19の解散、不動産経営者としての今の生活、再結成への思いとは――。音楽との出会いから現在までを聞いた。(全3回の2回目/最初から読む)
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デビュー曲「あの青をこえて」映像作品の撮影中に…
――「あの青をこえて」は、楽曲だけでなく、映像作品も19らしい独特の世界観が印象的でした。あの映像は、どのように作られていたのでしょうか。
岡平健治さん(以下、岡平) あれはメンバーの326がディレクターをやってくれて、ハンディカメラで全部撮っていました。渋谷ののんべい横丁とか、原宿とかを回ったりしてね。
当時は映像技術がどんどん鮮明になっていく時代だったんですけど、あえて古い時代のようなアナログな質感にしていて。それが彼のセンスで、すごくいい雰囲気になっていましたね。
ただ、僕、撮影の途中でいなくなっているんですよ(笑)。
――どういうことでしょうか。
岡平 眠くなって、家に帰っちゃったんです(笑)。相方も監督もいるし、エキストラの方たちもたくさんいたから、「バレないだろう」と思って、家でゆっくり寝たくなっちゃって。
だからデビュー作品なのに、途中から僕がいないんです。よかったら探してみてください(笑)。
――撮影現場から黙って帰ってしまって、その後、スタッフから何か言われることはなかったのでしょうか。
岡平 上の人たちは、たぶん僕がいなくなったことに気づいていなかったんじゃないですかね。バレていたら、さすがに怒られていたと思います(笑)。
普通、デビュー作品だったら「いっぱい映りたい」って思うじゃないですか。僕はなぜか、そういうタイプじゃなかったんですよね。



