1998年にデビューし、「あの紙ヒコーキ くもり空わって」「すべてへ」など数々のヒット曲を生み出したフォークデュオ「19(ジューク)」。NHK紅白歌合戦への出場や日本武道館公演を果たすなど絶大な人気を誇ったが、2002年に惜しまれながら解散した。

 あれから20年以上が経った今も、再結成を待ち望むファンは少なくない。

 そんな19のメンバーだった岡平健治さん(47)は、デビュー前、アルバイトを掛け持ちしながら音楽活動を続けていた苦労人だった。お金がなく、安い菓子パンを少しずつちぎり、食いつないだこともあったという。

ADVERTISEMENT

 華々しいデビューの裏側で、彼はどんな日々を送っていたのか。そして、19の解散、不動産経営者としての今の生活、再結成への思いとは――。音楽との出会いから現在までを聞いた。(全3回の3回目/最初から読む)

岡平健治さん(写真=本人提供)

◆◆◆

「19」解散の本当の理由は…「生きているうちにちゃんと話したい」

――19は人気絶頂のなか、2002年に解散します。当時はどのような話し合いがあり、最終的に解散という結論に至ったのでしょうか。

岡平健治さん(以下、岡平) 当時はもう、僕自身が19というグループに魅力を感じられなくなっていたんです。

 外側から見ると「なぜ絶頂期に解散するのか」と不思議に思う方も多かったと思います。表向きには僕から「辞める」と言い出したことになっていて、当時はそれで叩かれたりもしました。でも、そこにはいろんな事情が重なっていたんです。

 今でも、あのとき解散したのは失敗だったなと思うときもありますけど、今の自分の生き方を見て、これで良かったなと思うこともあります。

当時の岡平さん(写真=本人提供)

 ただ、本当の理由は今はまだ詳しくお話しできないんです。いつか、僕が生きているうちにはちゃんと話したいと思っています。だからファンのみんなにも、それまで長生きしてほしいですね(笑)。

――19解散後は、3B LAB.☆(スリービー・ラボ)として活動を続けられています。バンドを結成した経緯について教えてください。

岡平 19のときにギターの先生だった千葉(貴俊)さんに、僕から声をかけたんです。

 最初は「趣味でやりませんか」というくらいの軽い感じでした。19が解散して、「これからどうしようかな」と思っていた時期だったので、楽曲制作をしながら一緒にやっていこうということになりました。