不動産事業を手がける実業家としての顔
――会社を立ち上げる少し前から、不動産事業も始められています。今日取材させていただいているこのカフェも、岡平さんが所有するビルに入っている店舗で、デザインまで手がけられているんですよね。“東京のお母さん”的存在だったという資産家の節子さんのもとで学んだ経験も影響したのでしょうか。
岡平 そうですね。やっぱり、若い頃にお世話になった節子さんの影響は大きいですね。経費や固定資産税のことなども身近で見せてもらって、19歳、20歳くらいの頃から自然と勉強させてもらっていたんです。
ただ、最初から不動産一本だったわけではありません。株式などの投資もしていたんですけど、2008年のリーマンショックでかなりやられて、資産が半分くらいになってしまったんです。
そのときに「これはダメだな」と思って、値動きに振り回されないもの、つまり不動産を持ちたいと思うようになりました。
――ちなみに、最初に購入された不動産はどのような物件だったのでしょうか。
岡平 都内に土地を買って、そこにビルを建てました。今はライブハウスやレコーディングスタジオ、社員寮などを入れています。そこも当時よりだいぶ値段が上がっていますね。
「ミュージシャンの岡平健治」を見せ続けたかったけど…
――現在では実業家としての顔も知られていますが、音楽活動の裏で不動産事業を手がけていることは、当時どの程度知られていたのでしょうか。
岡平 全然知られていなかったと思います。音楽とは切り離したかったんです。ファンの夢を壊したくなかったし、「ミュージシャンの岡平健治」を見せ続けたかった。
だけど、ある媒体に事業について書かれてしまって。きっかけは、うちのスタッフがつい話してしまったこと。記者の方に「ここのオーナー、19の健治なんですよ」って言っちゃったんです。本人に悪気はなくて、単純に自慢したかったんでしょうね。
――思いがけない形で実業家としての一面が知られることになりました。その後、ご自身のなかで何か変化はありましたか。
岡平 「じゃあ、もう話そう」と(笑)。バラエティー番組でも話すようになりました。
世間の人はびっくりしたと思います。でもファンの方たちは意外と受け入れてくれて、「夢があるな」と言ってくれる人もいました。あのとき隠し続けることもできたのかもしれませんが、正直に話してよかったと思っています。



