事業で損失を出し「人生終わった」と泣いたことも
――ここまでのお話だけを聞くと、会社経営や不動産投資は順調に進んできたようにも見えます。一方で、大きな失敗や苦境に直面したこともあったのでしょうか。
岡平 ありますよ。都内のビルを買って代金を支払ったあとに、相手先の会社に計画倒産をされたことがあります。
1億円くらい損失を抱えたのかな。当時もやはりリーマンショック直後で、まだ世の中全体が不景気の真っただ中でしたから、そういう話も珍しくなかったんですけど、こちらとしてはもう自己破産もできないような状況に追い込まれました。
その頃はツアー中だったので、正直、ライブをしながら「人生終わったな」と思って何度も泣いていました。函館でライブをやったときにも号泣しちゃって、ファンの人たちは「なんで健治、泣いているんだろう」と不思議に思っていたと思います。
――表ではステージに立ち続けながら、裏では大きな負債を抱えていたその状況から、どのように立て直していったのでしょうか。
岡平 今考えると、本当にいろいろやりましたね。馬車馬のように働きました。音楽だけじゃなく、運送業などの仕事もしました。
2年くらい、本当に死ぬ気で働いて返済しました。正直、生きた心地がしませんでしたね。
音楽をやり続ける理由は「ファンがいてくれるから」
――経済的には、もう音楽を仕事として続けなくても生活できる基盤があると思います。それでも今も曲を作り、ライブを続けているのはなぜでしょうか。
岡平 本音を話すと、まだファンがいてくれるから。それだけです。
僕は若い人の歌を聴いたり、スポーツを見たりするのが好きなんですよ。だから音楽業界の若い人たちにバトンを渡していきたいという気持ちもあります。
ファンがいなくなったら、僕がやる意味もなくなるので、そのときは静かに隠居しようと思います。
――19時代から応援を続けているファンの方も多いと思います。解散から20年以上が経った現在、相方だった岩瀬敬吾さんとはどのような関係なのでしょうか。今も連絡を取ることはありますか。
岡平 ありますよ。「元気ですか?」とか、そういう他愛もない連絡です。日常的にずっとやり取りしているわけではないですけど、お互いに気にはしていると思います。
再結成の可能性はいかに?
――最後に、再結成の可能性については現在どのように考えていますか。
岡平 可能性はゼロではないと思っています。ただ、年を取って、だんだんやる気がなくなってきているのも正直なところですけどね(笑)。
今は全員がそれぞれ違う道を歩んでいますからね。その道がもう一度交差するというのは、簡単なことではないと思います。でも、いつかまたみんなでステージに立てたら、それは僕にとっても嬉しいことです。
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いつか、3人それぞれが空になげた紙ヒコーキが、再び同じ場所へとたどり着き、19がもう一度動き出すことはあるのだろうか。その日を、今も多くのファンが待ち続けている。




