成功を成功だと思えない、有頂天になりにくい性格

――人気絶頂だった頃から、「19のこの人気や収入はいつまでも続かないかもしれない」と考えていたそうですね。20歳そこそこで、なぜそこまで冷静に自分たちを見ることができたのでしょうか。

岡平 それは当時から今までずっと変わっていないですね。僕は、成功を成功だと思えないタイプなんです。売れてから周りの人もちやほやしてくれましたけど、「今だけだろうな」って。

 渋谷の道玄坂にある公開ラジオでも、ファンの方がたくさん押し寄せてくれるのをガラス越しに相方と見ていて、「これ、いつまで続くのかね」と話していたり。常に危機感がありますし、有頂天になりにくい性格なんでしょうね。

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――ライブを成功させた直後でも、その余韻に浸ることはなかったのでしょうか。

岡平 ライブがすごく感動的なものになって、「よし、これだ!」と思う瞬間があったとしても、終わった数十秒後にはもう「次は何をしよう」「来年は何をしているんだろう」と考えている。ファンの人たちが何を求めているんだろう、ということも絶えず考えていました。

「よっしゃー! 売れた!!」と心から思ったことは、正直あまりないんです。走り続けている感覚のほうが強かったですね。

1999年にリリースされたアルバム『音楽』。「あの紙ヒコーキ くもり空わって」も収録されている

――ヒット曲「あの紙ヒコーキ くもり空わって」を出した当時、岡平さんはまだ20歳前後でした。突然、大きなお金が入ってくるようになって、金銭感覚に変化はありましたか。

岡平 それは全くなかったです。厳格な両親の教えもありましたしね。それと、実はもう一人、僕には“東京のお母さん”みたいな人がいたんですよ。

――どのような方だったのでしょうか。

岡平 節子さんという資産家の方で、たまたま僕がその方が持っている物件に住んでいたご縁から、すごくかわいがってもらって、家にも出入りするようになっていました。

 もう亡くなられたんですけど、ものすごくお金に厳しい人で、僕、自分の通帳とハンコをその人に預けていたんですよ。「こんなに若いうちから大金を自由に使わせるわけにはいかない」って言われて。

 だから車を買うときも、ギターを買うときも、まず「これに使いたいんです」と節子さんにプレゼンして、納得してもらったうえでお金を出してもらう。よそから投資のような話が来たときも、まず彼女に相談して、危なそうなものは止めてもらいました。