大家の節子さんが教えてくれたお金の使い方
――大家と店子という関係を超えて、親子のような信頼関係が生まれていったのでしょうか。
岡平 そうですね。節子さんに頼まれたら電話一本ですっ飛んで行って、住人同士のケンカの仲裁に入ったり、ビルの電球を交換したり、どこかに行きたいと言われたら運転手をしたりもしましたね。
僕、紅白に出た歌手なのにね(笑)。事情を知らない周りの人から見たら、僕のことは息子だと思われていたかもしれないです。
僕の通帳は、節子さんが大切に神棚に保管してくれていて。おかげで、お金の使い道についても慎重になりましたね。
21歳のときに「3000万円おろしたい」と言ったことがあって。理由を聞かれて、「親に家を買ってあげたいんです」と言ったら、そのときは即「いいよ」と言ってくれました。今もその家に母が住んでいます。
――節子さんからお金を「使わない」ことだけでなく、どこに使うべきなのかという判断も学んだんですね。
岡平 節子さんといて驚いたのは、普通はお金が必要になったら銀行に行ってATMでおろすじゃないですか。だけど何十億というお金を持っているスーパーリッチな人たちは、銀行の方から家に来てくれるんですよね。
僕はもともと運がいいのかもしれません。振り返ってみると、本当にいい人にばかり出会えてきたんですよね。あの時期に節子さんと出会っていなかったら、たぶん今の自分はいないと思います。
周りにお金を稼ぐ若い子がいたら、まず信頼できる大人に相談することを勧めたいくらいです。
326とは「いつかまた一緒に」と今でも思っている
――19の活動が軌道に乗るなか、デビュー当時からともに音楽を作り上げてきた326さんが離れるという大きな変化がありました。当時はそれをどのように受け止めていましたか。
岡平 僕はつらかったですよ。ただ、事務所から説明を受けたときに、「これは仕方ないんだな」と思いました。自分たちでは覆せない、大人の決定だったので。
でも、いつかまた一緒に何かできたらいいなと今でも思っています。最初に一緒にやったメンバーの一人ですから、僕にとっては何にも代えがたい存在なんですよ。生きているうちに、また形にできたらいいなと思います。
――326さんが離れた後も、岩瀬さんと2人で19を続けています。当時、グループを続けることに迷いはなかったのでしょうか。
岡平 そこは「やるしかない」と思っていました。ここで19が終わってしまうのは違うと思っていましたから。



