「ジャングリア」など大型テーマパークの苦戦が報じられるなか、大分・別府の老舗遊園地が大健闘を見せている。
急勾配のケーブルカーを登った先に広がる1929年創業の「別府ケーブルラクテンチ」。かつて年間入園者7万人まで落ち込み消滅寸前だったパークを、地元企業の西貴之社長はどう再建したのか。赤字施設に見出した「三つの資産」と現場の意識改革を追うと、意外な事実が見えてきた――。
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日本唯一! 75年以上続く「あひるの競走」
「選手、立ちなさい。お客様が見えたぞ」
赤、白、黄、ピンク、青など色違いの首輪をつけた8羽のアヒルに声をかけるのは、40年以上にわたって「あひるの競走」を取り仕切ってきた三代目スタッフだ。声がかかると、アヒルたちはすっと立ち上がり、そろって客席へ顔を向ける。1口150円で1着を当てる競馬スタイルで、1950(昭和25)年から連日開催されている「別府ケーブルラクテンチ」(以下、ラクテンチ)の看板アトラクションである。三代目のひょうひょうとした口上と、それに律儀に応えるアヒルたち。絶妙で、ほのぼのとした掛け合いにファンも多い。
疾走するアヒルを横目に標高約240mに広がる園内を見渡せば、別府湾を見下ろす日本唯一の二重式観覧車や、天然温泉、さらにはミニ動物園までが雑多に肩を並べる。巨大テーマパークの洗練とは一線を画す、じわじわと味わい深いレトロワールドが、ここには広がっている。
今でこそ連日賑わうラクテンチだが、その歩みは決して順風満帆ではなかった。創業から運営母体は三度変わり、一時は年間入園者が激減し寂れた状態が長く続いていた。存続の危機に瀕した老舗パークは、いかにして再生を果たしたのか。そこには、西石油グループが合言葉に掲げる「地元を大事にせんじ、どげえすんの!(地元を大切にしないでどうする)」という熱い郷土愛と、温故知新の “変えない改革”があった。

