繰り返すが、いきなり今回の完結編、『最終楽章』を映画で見た筆者は、第1シーズンで交わされたこの2人の会話も関係性も知らなかった。にもかかわらず、聴いているだけでわかるのだ。この2人がどういう関係であるのか、その距離、温度、手触りが、会話を交わす声で伝わってくるのである。
本当にそんなことができるのか、と疑う人には、公開終盤ながら今でも劇場で上映されている『最終楽章』後編を映画館で見て、黄前久美子が何度も発声する「ですよねえ」という相槌、状況ごと、相手ごとに違う、その声の演技を聴いてもらうしかない。それを文字で書いた言葉で説明するのは不可能である。
「ですよね」というのは典型的な「受けの芝居」だ。吹奏楽部の部長である黄前久美子は、映画の中で下級生の不満を受け止め、“自分の「性格の悪さ」を見抜く世界でたった一人の親友”である高坂麗奈と高校生活最後の大会で独奏を獲得することを目指し、そのライバルとなる転校生・黒江真由と対話し、同時に自分の進路に悩む。周囲の言葉を黄前久美子が受け止め、「ですよね」とため息のような声をもらすたびに、観客にはその反響で彼女たちの魂の形がわかる。まるで暗闇を飛ぶ蝙蝠が、自分の声の反響で洞窟の形を察知すると言われるように。これは暗闇の中の魂の形の物語なのだ。
黒沢ともよの黄前久美子だけではない。火のように激しく燃える心と久美子への思いを抱えた高坂麗奈(CV:安済知佳)、友人を傷つけるほどの才能と友人を求める孤独が混沌と入り乱れる「美しい怪物」として立ちふさがる転校生・黒江真由(CV:戸松遥)、一人一人の声の名演がオーケストラ楽団のように作品を構成する。「管楽器は人の声に最も近い楽器だ」という言葉があるが、それは「人の声は管楽器に近い」ということでもある。『響け!ユーフォニアム』は彼女たちの声によって演奏される、人間の心の音楽であるともいえる。
出演声優による批評の見事さに恥じるしかなかった
後輩の久石奏を演じる雨宮天が、今回の劇場版のもとになる3期の放送時のイベントでブログに書いた文章がある。
ちょっとマニアックな話になるかもしれませんが、ユーフォ3では、奏のそれぞれのキャラクターに対する距離感はセリフの語尾に込めました。
奏は基本的に素直だと私は思っていますが、シチュエーションや相手によっては笑顔で刺したり躱したりするところもあるため、全体は表情に合わせた声で、語尾に本音を込める…そんなイメージで演じていました。
例えば真由相手なら、対面して話していてもそっぽを向いているニュアンスを語尾に込めることが多いです。
(雨宮天オフィシャルブログ天模様 2024-06-02「ユーフォ3お祭りフェスティバル」より)
映像の表情に合わせた声をあてながら、語尾に違う感情を混ぜることでシーンに深みが出る。演者自身による的確な『ユーフォニアム』方法論の分析であり批評だ。雨宮は続けて書いている。
イベント参加に当たって改めて1話から見直して、戸松さん演じる真由の独特なトーン(裏があるようにもどこまでも純粋なようにも聞こえ、何者も乱せない頑ななペースがありながら繊細な温度変化を感じるトーン)が本当に素晴らしくて真似っこできなくて憧れて、今日楽屋でともよちゃんとお芝居の話ができた(役の作り方がまるで違い、こちらも真似っこできない)のがとても面白かったりして、私は自覚しているよりお芝居が好きなのだなあと思いました。
ほしい、ほしい!となりました。
いつもはお芝居が好きとか嫌いとかというより目の前の作品やキャラクターに向き合い挑むような感覚なので、『好き』を感じるのは思いがけずふとした瞬間なのです。
この作品からはその瞬間をよくもらうなあと、個人的にはそんな喜びもあり、ユーフォに関われてとても嬉しいです。
(同上)
こちらも「フレネミー」などという薄っぺらい言葉ではくくれない、才能と孤独を抱えた黒江真由という鮮烈なキャラクター、それを演じる戸松遥や黄前久美子役の黒沢ともよを見事に演者自身が批評した文章で、『ユーフォニアム』を説明する言葉が見つからずに記事を書けずにいた筆者は自分を恥じるしかなかった。
