誰も死なない、事件も起こらない「ヒーロー」の物語
「ヒーローはいつもマントを着ているとは限らない」という英語圏のネットミームがある。名もなき市民が、何の見返りもなく英雄的な行為をするさま、例えば川に落ちた犬を助けたり、ホームレスが線路に転落するのを紙一重で救ったりする動画を見た時に、彼らは返信欄に英語でそう書きこむのだ。
『最終楽章 響け!ユーフォニアム』の中では、人は誰も死なない。大規模な災害も、凶悪な事件も起こらない。にもかかわらず、この映画の中で主人公・黄前久美子が見せる勇気と献身は、ほとんどヒーローのそれである。
彼女が「理想的な良い子」だからではない。それを理解するただ一人の存在である高坂麗奈が愛する「ねじ曲がった性格の悪さ」を心の中に抱えながら、自分を追い落とすかもしれないライバルに手を差し伸べ、自分の心の暗闇にむきあう孤独に耐え、後輩の背中を押すその姿は、最近公開された『スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ』などの、ヒーロー映画の最もすぐれた部分に劣らない。これは女の子の青春におけるヒーロー映画であり、黄前久美子という「マントのないヒーロー」の物語なのだ。
「女同士ってうまくいかないよね」という言い回しがある。『響け!ユーフォニアム』の中で描かれる吹奏楽部員の衝突、その心の機微は確かに「女子のコミュニケーション」の難しさをテーマにしている。これが体育会系の野球部やサッカー部なら「ゴタゴタ言うな」「上級生に逆らうな」で済まされてしまう話かもしれない。
だが武田綾乃の小説、そして京都アニメーションが作り上げた3シーズンのアニメと映画は、その軽視されがちな女子同士のコミュニケーションが単なる混沌ではなく、免疫や生態系のように一つ一つに重要な理由がある、美しい複雑さと曲線を持った豊かな音楽なのだということを描いていく。
こうして書いているが筆者自身、『響け!ユーフォニアム』が達成している新しい声と音の表現を未見の観客に上手く伝えられたか自信がない。最終楽章の前後編を見て作品世界に飲み込まれたばかりで、長い歴史を持つ作品のすべてを理解したわけでもない。ただ、「最終楽章を見ただけでもそれがわかるから、ぜひ見てほしい」という思いだけで書いている。
宮崎駿のアニメーターとしての映像構築能力が「見なければわからない」ものだとするなら、京都アニメーションが作り上げた『響け!ユーフォニアム』はいわば「音と声演の静かな革新」であり、「映画館でセリフと音楽を聴いてみなければわからない」ものなのだ。
この作品の本当の価値を発見し、正しく評価できるのは、未来の女性観客なのかもしれない、とも思う。もちろん今でも『響け!ユーフォニアム』の劇場には女性ファンの姿をよく見かけるが、その女性率は時を経るに従い増えていくのではないか。
武田綾乃という女性作家が書きはじめ、京都アニメーションという女性が作ったアニメスタジオによってアニメ化され、黒沢ともよをはじめとする女性声優たちによって豊かな肉声を与えられたこの作品が、「女性同士」のコミュニケーションをこれほど誠実に、ていねいに描いたこと、それが未来の少女たちの青春にとって「カノン(古典名作)」になっていくのではないかと思うのだ。
ほとんど英雄的なほど「正しさ」の前に自分を捧げた黄前久美子が、最後の最後に大吉山の美しい夜景を背に「死ぬほど悔しい」とヒーローの仮面を脱ぎ捨てるように本当の気持ちを語り、ただ一人「私はあなたの隠す性格の悪さを愛する」と見抜いた高坂麗奈がそれを抱きしめる、そのシーンの意味や価値はたぶん、未来の観客たちが発見していくのだろう。

