「酔って粗相をしてはいけないため、酒を殺して飲んでいた」
NPO法人代表として「生き直し」の道を歩む佐藤智明氏の新刊『先生は、元極道』(彩図社)より、極道の「部屋住み」修業のリアルな実態が明かされる。 知られざる「極道の飲み会」の実態とはーー。
「酔っぱらっているヒマはない」極道の飲み会の実態
月に1、2回、組員全員で親分と飲みに行く機会があったという。しかし、傍目には楽しそうに見えるその場も、佐藤氏にとっては一切気を抜けない修業の場だった。
「みんなで飲みに行くなんて楽しそうに思えるかもしれませんが、僕は正直、いつも楽しめませんでした」
その理由は明快だ。酔って粗相をしてはならないため、「酒を殺して飲む」しかない。親分が「たくさん飲めよ」と声をかけてくれても、若い衆は常に手にライターを持ち、親分がタバコを手に取る瞬間をうかがい続ける。
タバコに火をつけるにも作法がある。親分がタバコを口元に運んだタイミングで少し離れた位置から火をつけ、手を添えながらゆっくりと火を近づける。タバコが消されれば灰皿を新しいものと交換する。これはホステスにはやらせない、若い衆だけの仕事だ。
親分がトイレに立てば、若い衆も席を離れる。ホステスからおしぼりをもらい、トイレの出口で待機。親分が出てきたタイミングを見計らい、熱くなりすぎないよう事前にパタパタと冷ましたおしぼりを両手で広げて差し出す。親分はおしぼりの真ん中をすくい上げて受け取る、そのやり取りにも決まった型がある。
「タバコに火をつけるのも、トイレの後におしぼりを渡すのも、完璧なタイミングが求められます。若い衆に酔っぱらっているヒマはありません」
しかもこれらは誰かに教わるものではなく、先輩の姿を見て盗み取るものだという。飲み会の席でさえ修業は続く。この息の詰まるような掟の数々は、一体何のために存在するのか。
(つづく)
