今年9月、男子バレー日本代表は、アジア大会での6戦全勝という圧倒的結果で2028年ロス五輪出場を決めた。かつては「男子バレーは弱い」とまで言われた日本代表チームだが、何が変わったのか。チームを率いたキャプテン・石川祐希氏の貢献を深掘りした。

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外国人指導者とのコミュニケーション

 東京五輪まではコーチ、パリ五輪までは監督として代表を指導することになったフィリップ・ブランの知恵と経験は、国際大会でなかなか勝てずにいた日本代表を着実にレベルアップさせ、段階的に目標を設定し、課題を明確にする指導は、石川ら若く未成熟だった選手たちにピタリとハマった。

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男子バレー日本代表のキャプテンをつとめる石川祐希氏は、チームの常識を次々に変えていったという ©時事通信社

 とりわけ石川が周囲の選手たちに大きな影響を与えたのは、ブランと流暢なイタリア語でコミュニケーションをとる姿だった。14年のモデナを皮切りに、ラティーナで2シーズン、中大卒業後にプロ選手となってからはシエナ、パドヴァとイタリアリーグでステップアップを遂げていく最中にあった石川は、イタリアで勝負するための語学力も培っていた。専属の通訳がいるわけではなく、会話を聞き取り、直接尋ねることができなければ監督の意図は理解できず、わからないままでは試合にも出られない。石川にとっては、日本代表でのブランとの会話も、イタリアでの日常と地続きだった。自分が求めるプレーや結果を得るためにコーチと深くコミュニケーションを取っていただけだったが、周囲に与えたインパクトは大きかった。

「置いていかれないように」

 石川と同級生の小野寺太志は、通訳を介さずに手練れの指揮官と意見を交わす、そんな姿を見せられたら「落ち込んでいる暇も、腐っている暇もなかった」と笑う。

石川祐希と同級生の小野寺太志は「“石川世代”と言われるのが嫌な時代もあった」という ©文藝春秋

 2メートルのミドルブロッカーの小野寺は今でこそ日本代表に欠かせぬ存在だが、中学まで野球部に所属しており、バレー歴は浅い。高身長を見込まれ、高校からバレーボールを始めてすぐ、アンダーカテゴリー日本代表に選出されたが、ほぼ初心者の小野寺に対し、高校で六冠を成し遂げた石川は実績十分。「見上げるだけだった」と回想する。大学でも、日本代表でも、注目されるのは石川ばかり。「また石川かよ、と思っていた時期もあったし、“石川世代”と言われるのが嫌な時代もあった」と振り返るが、互いに年齢と経験を重ね、余計な妬みは消えた。