多角的ビジネスのひとつだったハイセル

 80年代前半の新日本は、日本全国の会場で満員を連発し、テレビ放送も高視聴率を記録していた。会社は儲かっているはずなのに、なぜかレスラーたちのファイトマネーや社員の給料は上がらなかった。その要因として社内で疑われたのが、猪木の個人的な事業であるアントン・ハイセルだった。

 ハイセルは、猪木が80年に設立したバイオ事業。ブラジルで大量に出るサトウキビの搾りかす「バガス」を発酵処理し、家畜飼料や肥料として再利用する循環型ビジネスだった。これはブラジル政府も関わる壮大な計画だったが、技術面やインフレなどが原因で行き詰まり、多額の負債を抱える結果となった。そして新日本の利益がこのハイセルに流入しているのではないかという疑念が社内に広まった。

「ハイセルをはじめとした猪木さんがやっていた事業というのは、べつに私利私欲のためにやっていたわけじゃない。僕らもよく知っているけど、より安定した団体をつくって、レスラーが引退後も生活に困らないようにするっていうのが猪木さんの考えだったからね。

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 興行というのはどうしても浮き沈みがあるものだから、多角的なビジネスで基盤をしっかりさせたうえで団体を運営していく。そういう理想や夢を猪木さんは持っていたんだよね。たとえば、沖縄のアントン牧場なんかは、名前を変えてまだ続いているからね。あれが猪木さんがやろうとしていたことなのかなと」

燃える闘魂・アントニオ猪木 ©文藝春秋

 猪木の理想は、団体運営の安定化や引退後のレスラーの雇用問題を解消するため、事業を多角化することだった。しかし皮肉にもこれが新日本の経営も圧迫してしまう。

次の記事に続く 「金策で疲れた猪木さんの顔を見るのがつらかった」運営資金捻出のために“高額の社債”を買わされたことも…それでも藤波辰爾が「文句ひとつ言わなかった」あまりにカッコいい理由