10月25日に90歳の誕生日を迎えた声優・野沢雅子。『ゲゲゲの鬼太郎』や『ドラゴンボール』など数々の名作に命を吹き込んできた彼女だが、20代の頃は「声優」と呼ばれることに強い抵抗があったという。いかにして「ハマり役」と出会い、声優界の“レジェンド”と呼ばれるようになったのか?(全3回の2回目)

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 野沢雅子は劇団東芸に在籍していた20代の頃、仕事の比重が洋画やテレビアニメといった声の仕事へ傾いていくなかでも、自分は舞台俳優だという思いが強く、声優と呼ばれることには抵抗感があったという。その思いは彼女にかぎらず、同時期に声の仕事をしていた劇団の先輩たちを含む俳優の多くが抱いていたようだ。

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1970年撮影、34歳当時の野沢雅子さん

 そもそも声優の仕事は、映像に合わせて演技しないといけないので不満だった。当時の心境を野沢はのちに次のように明かしている。

《とにかく自分の芝居ができないのが辛かったですね。私だったらここでブレス(息継ぎ)を取るよってところでしゃべり続けないといけないとか、逆に不自然にセリフを区切っていかないといけないとか、そういうのがすごく気持ち悪かったんです。そのくせ、トチったらそれが全国に放送されてしまう。先輩方だって、自分の芝居ができたらトチらないんですよ。舞台ではそりゃあ見事なものでしたから》(「otocoto」2016年8月4日配信)

 しかし、その思いもしだいに変わっていく。転機のひとつになったのが、1968年に初めてテレビアニメ化された『ゲゲゲの鬼太郎』(フジテレビ系)だ。