『鴛鴦歌合戦』――歌で価値観が180度転換

 こうした“歌合戦映画”では、登場人物たちの価値観の対立を、歌を歌うという形式で進行させていくという。普通のセリフでやれば、ギスギスした会話がただ続く手に負えないドラマになるところを、歌に置き換えることによって、スペクタクル性や娯楽性を獲得しているというのだ。そしてまず、黒沢監督はマキノ正博監督の『鴛鴦歌合戦』についてこう語った。

「歌を抜きにしても本当に目の覚めるような、痛快な傑作だなと思いました。後半のチャンバラシーンはマキノ正博の才能が存分に発揮されていて、宮川一夫のカメラもすごいんですけども、片岡千恵蔵の動きも俄然俊敏になってきて、実に見応えのある、本当に見惚れるようなチャンバラシーンでした」

映画『鴛鴦歌合戦』

 そのチャンバラの後、志村喬が演じる父親が持っていた汚い壺が実は一万両もする高価なものと分かり、志村喬は有頂天になる。すると片岡千恵蔵がいきなり怒り出し、「俺は金持ちは嫌いだが、成り上がりの金持ちはなお嫌いだ」と、長屋を出て行こうとする。それを見て、志村喬の娘の市川春代が突然一万両の壺を奪い取って地面に叩きつけてしまう。志村喬が「何をするんじゃ」と怒ると、娘は「怒らないでね、お父さん」と言って歌い出す。ここからクライマックスの歌合戦が始まる。

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「歌詞の内容を簡単に要約しますと、娘がまず、『あたしゃ今こそ知りました。お金なんぞが何でしょう』と歌うわけですね。それを聞いた父親は、それまでの価値観を180度転換させて、『おー、そうじゃった。娘でかした。金よりも胸の真珠を掘り出した』と答えるわけです。それを受けて、近くにいたライバルの女性、つまり市川春代と片岡千恵蔵を奪い合った女性が、突然『花の心は花が知る』と歌い出して、『私は今日からお友達』と続けて、2人は急速に仲直りしていきます。そこへ、怒って長屋を出て行くと宣言した片岡千恵蔵がやって来て、前言をすっかり翻し、にっこり笑って娘を見て、『辛い浮世も二人なら』と朗らかに歌います。

 つまり相反するいくつもの価値観が突然にして1つにまとまり、誰もが笑顔に包まれるという奇跡のような和解のドラマが、人が歌い合うことによって成立しているのです。これが歌合戦の威力であって、他のミュージカル映画とか色々ありますが、そういった映画では多分決して見ることのできない、普通のセリフだけのドラマだったら絶対に起こることのない出来事が記録されていると言っていいでしょう。

映画『鴛鴦歌合戦』

 とりわけ、志村喬があれほど大切にしていた壺を目の前で割られた直後、その価値観をあっという間に翻す瞬間には、目眩がするほどの凄みを感じました。こんなこと、歌でやらないとさすがの志村喬もどう演じていいのか分からないですね(笑)。歌でやると全く問題ないということです(笑)」