『たそがれ酒場』――同じ曲を別々の歌詞で競うように歌う

 なるほど、これが黒沢監督の言う“歌合戦映画”の力なのだ。続いて黒沢監督は、内田吐夢監督『たそがれ酒場』に話を進める。

「これはいわゆるミュージカルではなくて、ドラマの自然な流れとして登場人物たちが一種のリアリティを保ちながら、巨大な酒場のセットの中で次々と歌を披露していくという展開になっておりまして、前半に非常に分かりやすい価値観の対立による歌合戦が見られました」

黒沢清監督

 酒場で東野英治郎と、戦争中に東野の部下だった加東大介が飲んで盛り上がっていると、隣りの席に大学生のグループがやってきて、みんなで立ちあがって肩を組み、「若者よ体を鍛えておけ」と歌い出すシーン。

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「ここで歌われる歌は、1960年前後に歌声喫茶などで流行った『若者よ』という歌ですね。僕は当初、てっきり共産党の歌かなと思っていたんですが、調べてみるとそうではなく、当時の左翼運動の中でみんなが好んで歌った流行歌だそうです。この歌に東野英治郎と加東大介がいたく立腹して『やめろ』とか『近頃の若いもんは』とか言って怒り出します」

映画『たそがれ酒場』

 学生たちは『若者よ』を歌い終わると「失礼しました」と言って帰っていくが、その後不意に、窓の外からデモ行進の喧騒と、ブラスバンドの音楽のようなものが聞こえてくる。映像には映らないが、音はどんどん大きくなって、デモ行進が近づいてきたことが分かる。

「このデモの人たちの歌のメロディが、戦時中の軍歌で、調べてみると『歩兵の本領』という曲だそうですね。東野英治郎と加東大介たちは、テーブルを叩きながら(この軍歌を)デモ隊の曲に合わせて歌い始める。『万朶の桜か襟の色 花は吉野にあらし吹く』と歌うわけです。で、ここはすごいところなんですけども、外のデモ隊は全く同じ曲で歌詞が全く違うものを大声で歌っている。外から聞こえてくるのはどういう歌かというと、『聞け万国の労働者 轟きわたるメーデーの』という、これは非常に有名なメーデーの曲ですね」

 東野や加藤の歌う軍歌とデモ隊の歌うメーデーの歌は、曲は一緒で歌詞が全く違う。2人は一生懸命歌うが、デモ隊の大合唱には勝てず、とうとう加東大介が窓辺に駆け寄って「バカヤロー」と叫んで、敗北を認める形になった。

「つまり、同じ曲の別々の歌詞を競うように歌い合った2つの全く違う思想を持った集団が、結局は、かつての軍人たちが労働者のデモ隊に対して、敗北せざるを得なかった。で逃げ去っていくという、戦後の歴史を象徴するようなドラマがここで起こっているわけです。

映画『たそがれ酒場』

 これを真面目にやったら大変なことになると思うんですけども、もちろん真面目にやってはいるんですが、歌でやることによって何やら楽しい、そしてこの時代のある種の局面を、実にシンボリックに伝えている。政治的歌合戦というものがなにげなくここで起こっている」