究極の目標は「身一つ」で生きていくこと

 人生前半戦は、自分を拡大していく時期である。努力と能力を尽くして身の丈を超えどんどん大きくしようと頑張り、それに伴い暮らしもどんどん大きくする。より広い家に住み、より多くのものを持ち、より美味いしいものを食べ、より遠くへ出かけていく。それが人生前半戦の追求する「豊かさ」である。

 人生の後半戦では、そこからクルリと背を向けて歩き出すのだ。

写真はイメージ ©elutas/イメージマート

 前半戦で拡大していった「身の丈」を、徐々に本来の自分サイズに戻していく。得たモノも膨らんだ欲も一つ一つ手放していく。手放すことを不安に思う必要などない。何しろ究極の目標は「身一つ」で生きていくことなのだから。さらに最後はその「身」そのものも次第に小さくし、終いにはゼロにすることなのだから。つまりは音楽のデクレッシェンドのように、徐々に老いて縮んでスーッと消えるように死んでいければ最高である――ああ実に自然じゃないだろうか?

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 私はこの「価値観の方向転換」の重要性に気づいて以来、最終目的地の「死」に向かって、着々と高度を下げようと努力する日々を過ごしている。上り坂の価値観を一つ一つ点検し、裏返し、実行していくのは、まるで「無事死ぬための練習帖」をこなしているようだ。

 実を言えば、当初は「つまらん」と思わなかったわけじゃない。やはり「下る」って盛り下がるというかミジメというか。あれこれ理屈をつけたところで、結局はただの転落じゃん? 人生の目標とするようなことなのかね……。

 だが何事もやってみなければわからない。

 驚いたことに、ミジメどころか、手付かずの金の鉱脈を掘るような日々が待っていたのだ

 ……なんて言われたら、先を読まずにはいられませんよね?

 ってことで、いよいよ本編の始まりです。

死ぬ練習帖

稲垣 えみ子

文藝春秋

2026年10月15日 発売

最初から記事を読む 「いま私は、老後が全然不安じゃない」50歳で会社を辞めた元朝日新聞記者(61)が明かす、誰もが恐れる“老後不安”とすっかり無縁になったワケ