2/4ページ目
この記事を1ページ目から読む
「普通のお婆さんだったよ」
当時の飯田は生糸や材木の商いで賑やかな街だったという。当時の地図を見ると、ビリヤード屋が2軒あり、三河屋と通りを挟んで目の前には、阿部定が通った精養軒という洋食屋があった。今では街は寂れてしまったが、飯田が華やかな時代に阿部定はここにいた。
三河家店主の和夫さんは、東京で修行をしている時代、晩年に阿部定が経営していたバーに顔を出したことがあった。東京オリンピック前のことだったという。
「三河家の倅ですなんて言わなかったですよ。ほんの小一時間、店に行っただけですよ。小さな店だったね。うちの母親は嫁には阿部定さんのことを話してくれたみたいだけど、さすがに息子の自分には何にも話してくれなかった。事件が事件だけに当たり前だよね。どんな人だか見たかったんですよ。普通のお婆さんだったよ」
丹波の黒豆と猪鍋が有名で、素朴な田園風景が似合う丹波篠山、この土地と阿部定、両者の間の結びつきを想像することは難しいが、ここ丹波篠山の町の一角にかつて遊廓街が存在した。
その名残は田んぼが広がる農村風景の中に今も残っていた。遊廓はこの地に駐屯していた陸軍歩兵第七〇連隊の兵士のために造られたものだった。
