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この遊廓に阿部定も身を寄せ、彼女が働いていた大正楼という遊廓は今では壊されてしまったが、私が取材した当時は現存していた。
大正楼だけでなく、他にも遊廓や建築物が残り、昨今の風俗街の建物からはほとんど感じることのない文化の香りが農村地帯に漂っているのだった。ここで働いていた阿部定にしてみれば、冬の寒さも厳しく、付近は田んぼばかりのこの土地は良い働き場所ではなかったらしく、遊廓から逃げ出している。
飯田、丹波篠山と現在からは想像もできない場所に存在した色街、阿部定が逃げ出したことからも、娼婦たちの置かれている状況は厳しいことがわかるが、その一方で戦争へと進んでいく暗い世相の中には、今より華やかな庶民文化が各地に花開いていた。そうした土地を阿部定はわたり歩いていたのだった。
事件のことを記憶していた「ある老女」
東京都荒川区尾久、かつて尾久三業地と呼ばれた歓楽街、阿部定が事件を起こした土地である。2007年にここを訪ねた時には、古い旅館が残っていたのだが、あれから2年経ち駐車場となっていた。当時の雰囲気を残しているのは、密集した住宅街と細い路地ぐらいだ。
かろうじて、事件当時のことを記憶していた老女に出会った。老女は当時芸者の見習いをしていた。