AIに飲み込まれないために、量的な主導権は自分で握れ

 さて、これでは、ただ「日記のようなものをAIに読ませるとネタ出しに便利だよ」というだけの話にすぎません。これを、本連載の関心、つまり勉強と効果の問題に接続してみたいと思います。

 これは文章のプロでありAIの素人であるわたしの雑な所感なのですが、いまや多くのひとはAIに読ませるプロンプトよりもAIが出力する文章のほうが圧倒的に長くなっていると思います。わたしは、この量的なアンバランスが、AIを使うと疲れたり、なんとなく違和感や不安を抱いたりすることの一因なのではないかと思っています。

 こう思われる理由のひとつは、AIを使ってると「あっちの文章」になっちゃう感覚があるからです。ようは、思考の主導権を握られてしまう。自分より速いやつに、自分の思考が乗っ取られてしまう。そして、そいつは自分よりも賢く、困ったことに、反論しても意味がない。だから、なんとなく流されてしまう。

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 しかし、この「あいつが言ってたから良さそう」という根拠は、まさしく「自分のための勉強を手に入れる」という本連載の趣旨の対極にあるものなのでした。これをどうするか。

 この問題のひとつの解決策が、こちらが出力した大量のテクストを読ませることです。大量に読ませると、AIとの対話において、ほぼ自動的に、いわばこちらが量的な主導権を握ることができる。そのテクストのデータにもとづいて会話が展開されることになるので、「あっちの文章」になりにくい、ということです。

©Unsplash

 じっさいこれを読ませると、とくに指示せずとも、その後の会話でAIは「あなたはこうも言っていましたよ」「その話、これと矛盾するんじゃないですか」といった参照を自動的にやってくれます。こうして、わたしよりも優れた執筆者・思考者としてのAIではなく、わたしの発言についてわたしよりも詳しい読者が手に入るのです。いわばわたしの古参のファンのような存在であり、きわめて貴重な読み手です。

 ただし、この実践は、すでに大量の蓄積がある読者にかぎられています。「15年のログなんてないよ」という読者のことも念頭に置きつつ、これを方法論に繋げてみましょう。

 ポイントは出力において量的な主導権を握ることなのですから、たとえば解決策はこうです。わたしも部分的に実践していることなのですが、AIに、こちらから出てきた言葉――文字数ではなく、キーワード、フレーズ、着眼点、認識、主張など、あらゆるもの――の量をAIが上回ったら警告せよ、と伝えるのです。

 ただ、AIは自分が言った言葉なのかどうかを判断するのが苦手な面もあるので、「どっちが先に言ったのか」など順序についての判断基準もあわせて盛り込むといいと思います。あるいは、ラリーの回数を5回などと決めて、回数ごとに強制的に警告を出すという方法もアリかもしれません(これは無視することが習慣化しそうではある)。

 ともかく、これについては、まさしくあなたのAIの使用法に合った解決策を模索してください。ポイントは、AIに飲み込まれないための調整を量で行う、という点にあります。

 では、AIが量的な主導権を握りそうになったらどうするか。ズバリ、そこがAIを使うのをいったん辞めるべきタイミングです。あなたはそこで、あなた自身の言葉を紡がなければならない。

インプットとアウトプットの関係を考える

 本連載の最大のテーマは、勉強の効果への感度、そのセルフモニタリングでした。当然ですが、ずっとAIに考えさせたり書かせたりしているだけで、勉強の成果など出るはずがない。それは勉強ではない。でも使わないわけにもゆかないし、勉強にまったく役立たないわけではない。そこで、「効いている/効いていない」を察知する感度をAIとの会話のなかに組み込むために、この量にもとづいた判断をAIに下してもらおうというわけです。

 どうやら今回、書きはじめた時に想定していたのとまったく違う内容に発展し、思わず本連載のもうひとつの結論のようなものが見えてきつつあるようです。それはインプットとアウトプットの関係にかかわるものになるはず――なのですが、まだこのトピックについては考えを練れていません。連載の終盤で、じっくり取り組ませてください。

 ともあれ、まとめましょう。AIをネタ出しのツールとして使うのではなく、自分の過去の蓄積と対話するための装置として使うこと。そのうえで、量的な主導権を自分の側に残しておくこと。この二つだけで、AIとの会話は「あっちの文章」に流される場ではなく、「自分の言葉が必要な瞬間」を感知する勉強の場になる。

 今回はそういうお話でした。

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