「お客様は神様です」はいつから免罪符になったのか
三波春夫という歌手の名前を知らない世代でも、「お客様は神様です」というフレーズだけは知っていると思う。厄介なのは、この言葉が本来の意味からとっくに引き剝がされて、都合よく一人歩きしていることだ。
三波春夫本人が言いたかったのは「舞台に立つ歌手として、神前で祈るような気持ちで臨む」という、自分自身を律するための言葉だったらしい。それがいつの間にか「客が偉い」「客の言うことは絶対」という、客側が振りかざす免罪符に変質してしまった。
三波春夫本人がこの誤用をどう思っていたかはわからないが、もし、今生きていたら、少し困った顔をするのではないかと思う。自分が鳴らした鐘の音が、まったく別の場所で、まったく別の意味を持って響き渡っているのだから。
配達の現場で「お客様は神様です」が持ち出されるとき、その使われ方には共通のパターンがある。まず、何かしらのミスやすれ違いが起きる。時間指定の遅れ、置き配の場所違い、対応が悪い。次に、客がそのミスに対して不満を表す。ここまでは、ごく普通のクレームだ。問題はその次で、不満の正当性を補強するために「お客様は神様」という態度が出る瞬間だ。
「神様」という態度が出てきた時点で、それはもう対等な人間同士のやり取りではなくなってしまう。人間は謝るし、間違えるし、許すこともできる。けれど神様はそうではない。
絶対的な存在で、その前に立つ者はただ頭を垂れるしかない。
もっとも、本当に神様であったなら、遅刻くらいで声を荒らげるだろうか。人間らしく苛立ち、人間らしく声を張り上げているというその事実そのものが、その人が人間であることの何よりの証明になっている。
神様を名乗りながら、誰よりも人間らしい姿を見せてしまっているという小さな滑稽さに、気づいている客はおそらく多くない。