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ナンバー2に上り詰めたが…
文化大革命が勃発した1966年、毛沢東は党内の実権派を弾圧するため、紅衛兵(学生・青年を中心とした過激な大衆組織)を動員し大規模な政治運動を開始する。
この混乱の中で林彪は軍を掌握し、毛沢東の個人崇拝を積極的に推進。兵士や民衆に配布された『毛主席語録』(赤い小冊子)の普及に尽力し、党内で「毛主席の親密な戦友」と称賛される。そして1969年の第9回党大会では、党規約に「毛沢東主席の後継者」として林彪の名が明記される異例の扱いを受け、事実上のナンバー2の地位を確立した。
林彪は軍の要職を一族や側近で固め、妻の葉群も政治局委員に就かせる。さらには、1969年に毛沢東が国家主席の制度の廃止を主張すると、これに猛反対。毛沢東に野心を疑われることになる。
また、1969年3月に起きた中ソ国境紛争(ソ連との領土問題を巡る軍事衝突)を契機に、毛沢東がそれまでの反米・反ソ路線を変更、アメリカに接近を試みたのに対して、林彪は「あくまでも敵はアメリカである」と主張。
両者は激しい対立関係となる。
