――実際に話を聞いた事務所もあったんですか。

小松 最初に話を聞いた事務所からは熱心に連絡をいただいたので、つい「行ってみます」と返事をしてしまったんです。その後、中山美穂さんが所属していた「ビッグアップル」という事務所からも声をかけていただきました。

©山元茂樹/文藝春秋

 今思えば、そちらの話もちゃんと聞いておけばよかったんですけど、田舎育ちで、変に律儀だったんですよね。先に返事をした事務所に義理立てして、「もう入っているんです」と断ってしまって。ところが、最初に声をかけてくれた事務所からは、所属するためにレッスン料や宣材写真の撮影費用を払うように言われてしまって。結局、その頃はどこの事務所にも所属しませんでした。

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――高校卒業までは福島で過ごされたんですよね。

小松 本当はもっと早く東京に出たかったんですが、親から「高校まではいなさい」と言われました。今なら親の気持ちがわかりますね。ただ通っていた高校の先輩に秋吉久美子さんがいて、同じ学校にいた人が女優さんになったのなら、自分も目指せるかもしれないと感じました。

水着も下着もヌードもやって、グラビアクイーンと呼ばれても給料わずか3万円

――大学進学で上京しますが、その時には芸能の仕事をやりたいと思っていたんでしょうか。

小松 私はバレエもやっていたので、最初は劇団四季やディズニーのダンサーになりたくて、オーディションを調べていたんですよ。ところが4月に上京して、5月にはスカウトされました。そこから映画やグラビアのオーディションが始まり、あれよあれよと仕事が決まりました。

――大学在学中に『週刊プレイボーイ』でグラビアデビューします。水着になることには抵抗はありませんでしたか。

小松 ありませんでした。もともと女優を目指していましたし、秋吉さんの映画などを見て「役者というのは作品によっては脱ぐこともある」と思っていましたから。最初の掲載も、1ページの4分の1ぐらいの小さな水着写真だったんです。大勢いるモデルの一人という感覚でした。

――その後はヌードグラビアもやり、写真集も発売します。そこも迷いはなかった?

小松 映画で脱ぐこともあるだろうと考えていたので、そこは変わりませんでした。水着も下着もヌードも変わらない感覚なんですよ。それに当時は樋口可南子さんや松坂慶子さんなど、女優さんのヌード作品もありましたし、自分が役者として進む延長線上にあるなら、変なことだとは思いませんでした。