本人は「愛想のない私でも」とさらりと書いている。だが、のちに尾崎士郎、東郷青児、北原武夫と、男たちが次々に心を奪われていくのが宇野千代という人物である。給仕の仕事ぶりを見て、男たちが放っておかなかったとしても不思議はない。

しかも、千代がここで働いたのはわずかに18日間。その間に、滝田樗陰、菊池寛や久米正雄、佐藤春夫、芥川龍之介、今東光らと知り合ったと多くの文献には記されている。この時代、中央公論社が道路の向かいにあり『中央公論』の編集長だった滝田が、出入りする文士を連れてきていたため……といわれたらなんとなく「ふーん」と読み飛ばしてしまうが、明らかにおかしいだろう。18日しか勤めてないのに……。

毎日50銭銀貨を置いていった名編集長

当時を思えば、要は中央公論社の社員や出入りする文士、さらに帝大生たちが「燕楽軒にすごい美しい給仕が‼」「しかもずっとツンツンしててデレないんだ」「なんだとぉ〜」と押し寄せたのは想像に難くない。いや、実際、筆者は明治大正の全国各地の郷土資料を見ているが、この時代の男性は“美人がいる”という評判を聞けば、すぐに駆けつけるもの。

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“どこそこの店に美人の店員がいて店が繁盛した”なんて話に限らない。評判の娘がいて、その家が見える甘味屋が常に男性客で満員だった、なんて逸話はざらにあるものだ……おそらくは、懐の寂しい文士や学生は「ライスひとつください」で長時間ねばる。あるいは出待ちを繰り返したんだろう。

そんな中でも別格だったのは滝田である。なんといっても、当時評判の雑誌『中央公論』の編集長。ゆえに懐も温かい、毎日、そそくさと食事をしては必ず50銭銀貨のチップをおいていったのである。現代の感覚でいえば、2000〜3000円くらいを毎日チップとして置いていくのである。これで給仕に自分を意識させて、文士たちを相手に優越感にひたろうとしていたのかもしれない。

対する千代は、まったく滝田を意識していない。いや、意識しているのは滝田の置いていく50銭銀貨だけである。