ここで冷静になって考えると、当時の千代は働きながら帝大に通う忠と一緒に暮らしているわけである。しかも、千代は「一度など、軒下に佐藤春夫を待たせて、自分だけ二階へ上って来たことがありました」とも記している(『私の文学的回想記』)。
今東光「楽しいデートをたっぷりと味わった」
要は、忠の留守に、「ボーイフレンド」が下宿に上がり込んできているわけである。しかも、仕送りもアテにできずに働きながら通っているのに対して、東光の父親は日本郵船に所属する外洋航路の船長で本郷西片町の屋敷に住んでいた。
しかも、必死に働きながら学んでいる忠に対して当時の東光は、画家になろうか文士になろうかと、フラフラしている高等遊民である。まさか、二人の関係に気づいてないはずもないが「どういうことなんだ、ちくしょぉお!」とならなかった忠こそ聖人かなんかの類いである。
ともあれ、のちに出家して坊主頭となる東光も、当時は紅顔の青年。「彼女に指でもさす畜生は容赦なく噛みつくつもりだった」と言っているくらいには純情である。いや、実際に現代とは男女間のモラルがまったく異なる大正時代である。千代みたいな人目を引く若い女性は歩いているだけで危険だ。ある時、デートに連れだしたら、こんなことがあったと東光は記している。
彼女と上野方面に歩いていると道行く人々が振り返り、中には道路工夫など尾籠な声を張りあげてひやかすという風で、内心、頗る得意の僕は彼女と活動写真を見たり、夜店をひやかしたりして楽しいデートをたっぷりと味わった(「友鏡 わが交遊録」)。
絶筆に記した“手を出さなかった理由”
しかし、それでも一線は越えなかったと東光は記している。
なぜ、彼女を池ノ端の静かな待合(今日のラブ・ホテル)あたりに連れ込んで誘惑しなかったかと言えば、彼女との会話から彼女が真面目に結婚を望んでいることがわかり、若し僕が彼女を得て結婚しても到底、僕は良き夫たり得ないとわかっていたからだ(「友鏡 わが交遊録」)。※原文ママ