宮崎県串間市の沖に浮かぶ築島。漁業で栄え、昭和の最盛期には100人以上が暮らしたが、直近の住民は実質4人。本土との定期船もなく、地元の宮崎県民でも知らない人が多い“ナゾの島”だ。

年季の入った選挙掲示板など、至るところに郷愁を誘う風景が

 島で生まれ育ち、現在島内で民泊の開業に向けて準備している築島宏樹さんに、島の成り立ちや長年伝わる「生まれたばかりの赤ちゃんを外に置いていく」というナゾの風習について聞いた。

人口が減った島で、二拠点生活を送っている築島さん(写真提供=本人)

最盛期は100人ほどが暮らした島、島民の多くは血縁関係にある

 築島の始まりは、愛媛県の宇和島からたどり着いた人たちの開拓だったと伝わる。それを明治時代に「山下藤吉」という人物が買いとり、「築島」と名づけたという。藤吉氏とその姉弟が「築島姓」と分家の「近藤姓」になったため、島のほとんどの人は「築島さん」か「近藤さん」なのだそうだ。

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 昔はお見合いや紹介で島外の人と結婚するケースも多く、築島さんの母もその1人。そうして昭和の中頃には100人以上が暮らすようになった。島の人たちの多くはどこかで血がつながっているのだという。

 島には海の神と山の神を祀る神社が2つあり、それぞれ年に1度お祭りが開かれていた。なかでも大きかったのが、正月明けの「恵比須祭り」だ。仕込みは1カ月前の12月から始まる。

 担い手は島の小学生たち。島中に自生するビロウの葉で伊勢海老の形の飾りをつくり、絵馬に付けて何十個も用意する。祭りが近づくと、法被姿で神輿を担いで一軒ずつ回り、絵馬を配った。

 当日は島中の船が大漁旗を掲げて港を回る「漁船パレード」、小学生と青年部が披露する「築島太鼓」、そして集会場での宴会へ。伊勢海老漁が盛んだった頃は、お造りが無料で振る舞われたという。

 しかし祭りには子どもの存在が欠かせない。担い手がいなくなり、最後に行われたのは築島さんが小学生の頃だったと振り返る。

海の神を祀る「恵比須神社」(写真撮影=仲奈々)

独特すぎる風習「もらい子」とは?

 島ならではの風習が、「もらい子」だ。

「生まれたばかりの子を外に置いて、最初に見つけた大人が第2の親になるという風習です」(築島さん)

 もっとも、実際に赤ちゃんを放置するわけではない。島に伝わる物語になぞらえた“儀式”で、あらかじめ大人たちが「誰々さんに第2の親になってもらおう」と決めておき、誕生後の祝いの席で「道で拾ってもらった」という体にしたそうだ。

 現在、島の住民は80歳前後の4人のみ。島は空き家だらけで、築島さんの実家も島外の人に買われたまま傷んでいる。そんな状況を黙って見ていられず、築島さんは民泊という形で島の魅力を再発信しようとしている。

 続く記事では、築島さんに案内してもらった、現在の島のようすを詳しくレポートしている。

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