「私の人生は憎悪と復讐に翻弄された人生だった」
遺書と題する文章も作成していた。そこには、「何でこんなに辛いんだろ」と何度も書かれ
「苦しい息ができない、立っているのに溺れそう」「自分が嫌というほど嫌いなのに、自己愛が身を包んでいる」「私の人生は憎悪と復讐に翻弄された人生だった」と記されていた。
3人殺害も「計画失敗」
2024年7月28日、事件発生当日、被告の神奈川県川崎市の自宅にあるパソコンには、「日記」題された記録が残されていた。そこには、「状況開始(=作戦開始)」と記されていた。
被告は準備したサバイバルナイフなどの犯行道具を入れたリュックサックを背負い、電車を乗り継ぎ、静岡県菊川市へ向かった。菊川駅からは徒歩で祖父母の家へ向かったが、現場に一緒に暮らす母親の車がないことに気づいた。帰宅を待ちながら準備をしたが、誰かが不在であることは想定済みだった。計画に沿って祖父母と叔母の殺害を決断した。
玄関から家に入ると、祖母は「お茶を出す」といいキッチンへ向かった。被告はダイニングに祖父と叔母がいることを確認すると脱衣所でサバイバルナイフを準備。祖母の腹部を突き刺した。次に、祖父と叔母のもとへ向かった。この際、叔母は母に電話し被告の来訪を伝えたあと、「(被告名)ちゃん、やめて、死んじゃう」などと叫び声をあげた。被告は叔母、祖父の順にナイフで首や胸を突き刺し、それぞれ脈がないことを確認した。
母親は固定電話に繰り返し電話をかけていた。一度だけ被告が電話に出た際、被告は母に「何でもない」などと話した。
被告は母親か叔母が警察に通報したと考え、これ以上の殺害計画の遂行は困難だと判断し、返り血のついた服を着替え、逃走に不要なものなどを現場に残し立ち去った。
母親が菊川警察署に通報し、現場に駆け付けた警察官が住宅に入ると「助けて」という女性の声が聞こえた。祖母の声だった。警察官が誰にやられたのかたずねると祖母は「孫にやられた」と話した。
