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2018/10/20

当時の新聞や雑誌などに掲載されていないご発言も

 ところで、美智子皇后はいつからこのような発言をするようになったのだろうか。現在は品切れになって古本でしか手に入らないが、現在の天皇制を考える上でとても興味深い本がある。薗部英一編『新天皇家の自画像』(文春文庫、1989年)という本である。昭和の時代の明仁皇太子(現天皇)、美智子皇太子妃(現皇后)、徳仁親王(現皇太子)、文仁親王(現秋篠宮)の記者会見・発言を集大成した本で、その時々の彼らの肉声が収録されている。当時の新聞や雑誌などに掲載されていない発言もこの本のなかにはあり、貴重な歴史資料でもある。皇室のあり方、家庭生活、公害などの社会問題など、様々な事柄についての語りは、いわゆる「平成流」の原点とも言えるような内容を含んでいる。

皇太子ご夫妻(当時)と、礼宮(秋篠宮)さまを乗せて乳母車を押される浩宮(皇太子)さま 宮内庁提供

 さて、このなかには、美智子妃の記者会見などでの発言も収録されている。皇太子夫妻は1960年の初めての外遊以降、基本的にはそのたびごとに会見を行っていたため、外遊を繰り返す二人がメディアの前に立って肉声を伝える機会は多かった。その時の話題は外遊先のことのみならず、家庭生活や子どものことなど多岐にわたっており、皇太子一家の様子を伝える場となった。『新天皇家の自画像』にも、その記者会見の様子が収録されている。

 1960年9月19日、アメリカ訪問前に行われた記者会見では、「留守中の浩宮様が心配ですね」と記者に尋ねられた美智子妃は、「生まれてからずっと世話してくれた人がいるし、心配はありません」と述べて「人々への配慮」を示しつつ、自身の声を吹き込んだテープを残して聞かせてもらうようにしたとも答えている。皇太子妃としての公務をこなさなければならないなか、一方で育児をできるだけ自分たちで行うとする姿勢(「家族への視点」)を示したものと言える。

美智子さまと浩宮(皇太子)さま 宮内庁提供

 同じ会見では、「妃殿下は最近やせておられますが」と記者に尋ねられている。民間から皇室に入って苦労しているのではないか、記者の問いの意図はそこにあった。これに対して美智子妃は、「一児の母ともなると、あまりふとってはいられません」と答えた。記者の質問意図を充分に意識しながら、それに基づいて答えては軋轢が生じるため、子育てという観点にあえてずらしてユニークに回答したのである。

 また、美智子皇太子妃は1963年に流産し、その後の静養が終了した翌年2月、浩宮の4歳の誕生日を前に単独で記者会見を行った。これは宮内記者会の希望で開かれたもので、美智子妃の回復した姿を人々に伝えることに繋がった。このように皇太子妃が単独で会見を開くのは異例であった。話題は浩宮について限定されていたものの、最後に美智子妃が「私の健康のことでご心配をかけました国民の皆さんによろしく」と伝え、この言葉が皇太子一家の遊ぶ写真とともに報道された。美智子妃は「人々への配慮」に言及しつつ、子どもの成長と家庭的な一家像(「家族への視点」)を表出させたのである。

メディアを通してご自身の意見を伝えられた美智子さま

 そして、1971年ごろからは毎年ではないものの、美智子妃の誕生日を前に単独での記者会見が実施されるようになる。それまでも、皇太子の誕生日会見は行われていたものの、皇后にはその機会がなかったため、皇太子妃の会見が行われるというのはこれまた異例のことであった。美智子妃はこの記者会見のなかで、1年間の自身の生活、読書や思考、家族への思いなど多岐にわたる話題に回答している。また、天皇制(皇室)のあり方について問われた時には「時代の流れとともに、形の上ではいろいろな変化があるでしょうが、私は本質的には変わらないと思います」と、自身の考えについても明確に表明している(1981年10月8日記者会見)。

お住まいだった東宮御所には小さな台所を設けた 宮内庁提供

 こうした記者会見では、現在に比べて記者の問いはかなり厳しく、突っ込みが激しかった。例えば「お子様達から悩みを打ち明けられることは」と尋ねられた時、それに対して美智子妃は「浩宮も年頃ですから、時に相談を受けますが、それをいったら叱られます(笑い)」(1976年10月18日記者会見)と当意即妙に、また先にも示したようにユーモアを持って回答しており、皇太子妃時代より、メディアを通して自身の意見を伝える新しい皇族女性としての像を確立していた。