著者の木庭顕先生は、現在、東京大学名誉教授だ。通常、書評執筆で著者に「先生」とは付けないのだが、私が現に通っていた大学の先生なので、ご理解頂きたい。私の学生時代、木庭先生は東大法学部のスター教授で、ファンの学生たちは、ラテン語とギリシア語の辞書を傍らに、先生の著作の読解に取り組んだ。もっとも先生は、少数精鋭の読者を獲得して満足する人ではない。最高峰の学問的営為を入門者向けに伝えることにも熱心で、二〇一七年には中高生を相手に、ゼミを開催した。その記録が、本書だ。
本書の議論の柱は、次のようなものだ。
スポーツ団体のパワハラに顕著なように、集団は、内部の個人に犠牲を強要しがちだ。これを解体するには、自由で独立した人々が透明な空間で議論し、諸々の集団を超える意思を作り出す必要がある(例えば、国会議員が、国会での議論を通じ、パワハラ禁止法を制定する)。この意思決定を政治という。ただ、個人の自由のために成立した政治が、自由を破壊する決定をすることがある。そんな時、人々は連帯して政治と対抗し、あるいはその連帯を政治に置き換え、自由の侵害を斥ける。これがギリシアで生まれたデモクラシーだ。
他方、ローマでは自由を守る法が発展した。土地などを巡る争いの解決は、対象物の占有の認定から始まる。占有のない当事者は、相手が不当な実力を使って自分を対象物から切り離したことなどを立証しなくては勝てない。占有を核としたシステムの構築により、ローマ法は、個人の自由を守り、取引に必要な信用を生み出した。
「デモクラシーと占有概念によって個人の自由を守る」という構想は、現代の人権思想の源流でもある。このことを、木庭先生は、映画やギリシア古典をじっくり読み解きながら伝えて行く。この手法を迂遠と感じる人もいるだろう。
しかし、政治や自由の概念は、用語の定義を覚えただけでは、真の理解には到達できない。映画や古典は、強烈な状況、驚くべきキャラクターを提示し、私たちの考えや価値観を揺さぶる。そこに描かれた人間への共感や考察を通じて初めて、政治や自由を生々しく理解できるようになる。だからこそ木庭先生は、迂遠にも見える手法を採るのだろう。
今、書店には、手っ取り早く儲かるビジネス本、簡単に快楽を得られるヘイト本、複雑な科学を無視できるスピリチュアル本などが溢れている。本書は、そうした効率至上主義の対極にある。ゆっくり考える時間を与えてくれる本書は、現代人にこそ必要だ。
こばあきら/1951年東京都生まれ。東京大学法学部卒業。専門はローマ法。著書に〈三部作〉と呼ばれる『政治の成立』『デモクラシーの古典的基礎』『法存立の歴史的基盤』の他『ローマ法案内――現代の法律家のために』『憲法9条へのカタバシス』などがある。
きむらそうた/1980年神奈川県生まれ。東京大学法学部卒業。憲法学者。『キヨミズ准教授の法学入門』『自衛隊と憲法』など。