1954年作品(102分)/東宝/11000円(税抜)/(写真は第七部~第九部セットの第三集)/レンタルあり

 今回は前回に引き続き、マキノ雅弘監督が幕末の侠客・清水次郎長とその一家の活躍を描いた『次郎長三国志』九部作の一本、『第八部 海道一の暴れん坊』を取り上げる。

 本作は前回の第三部と同様に次郎長(小堀明男)の子分・森の石松(森繁久彌)の活躍が描かれており、第三部以上に「これぞ役者!」と言いたくなるような、森繁の至芸を存分に堪能することができる。

 物語は、石松が次郎長の代参で讃岐の金毘羅詣でに向かうところから始まる。一家の仲間たちは石松に土産を望むのだが、それは名物などの物産品ではなく、「女との惚気話」だった。生来の吃音と喧嘩で潰れた片目により石松は自身に強いコンプレックスを抱いていたのに加えて、度の過ぎた純情と不器用さの持ち主でもあったため、女性とまともなコミュニケーションができずにいたのだ。仲間たちはそんな石松のことを想って、道中で恋の一つでも成就してくれたらと願って「土産」に「惚気話」を望んだのだ。このなんとも粋な計らいはさすがマキノ作品であり、同時に監督の石松に対する強い愛情が伝わる展開といえる。

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 そして実際に、石松に恋のチャンスが訪れる。相手は讃岐で出会った宿場の女郎・夕顔(川合玉江)だ。石松は夕顔に一目惚れをするのだが、その想いを告げる時のセリフがいい。「おめえさんに惚れられようってんじゃねえんだぜ。ただ一日でも二日でも構わねえから、おまえさんの側に置いといてくれて、惚れさせといてくれりゃいいんだ」

 これまで石松にとって「女に惚れる」ということはすなわち「片想い」でしかなかった。ならば、せめてその「片想い」だけでも受け入れてほしい――。名ゼリフと、それを演じる森繁の憂いを帯びた眼差しやサッパリとしていながらも切なげな口跡があいまって、石松の純な気持ちが胸に迫ってくる場面となった。

 そして、夕顔はそんな想いに打たれ、石松を慕うようになる。地元の親分・鎌太郎(志村喬)の協力もあって石松は夕顔を身受けし、ハッピーエンドを迎えた――。

 と思いきや。それは実は悲劇の始まりだった。それまで石松はめっぽう喧嘩が強かった。失うものが何もなかったため、暴れ放題できたからだ。が、愛する者を手に入れたことで、喧嘩の切っ先が鈍った。因縁ある敵に囲まれ、反撃もろくにできずに斬り殺される。

「おいよせよ。人違いだろ」と弱々しく呟いて死んでいく石松。この時の森繁は、かつての威勢の良さが完全に消えた石松を見事に表現していた。そのことが、石松の皮肉な末路の悲劇性を浮き彫りに映し出すことになった。