怒りがむらむらと湧いて湧いてしょうがなくて、いちいちそれを鎮めないと次のページに進めないくらいに感情的になってしまった本が『彼女は頭が悪いから』だ。

©犬山紙子

 姫野カオルコ先生のこの小説は、2016年に起きた東大生による強制わいせつ事件がテーマになっている。この事件を聞いた時も、内容、被害者を責める声に吐き気がしたが、この小説でなぜ更に怒りが湧いたかというと、「わかる、こういうのある」と、その事件が今自分がいる現実の延長線上にあると感じてしまったからだ。小説は終盤まで普通の女の子とエリート男子の普通の日常が丁寧に描かれている。彼らの喜び、嫉妬、恋する様子は私たちが知っている青春となんら変わりないからこそ、腹がたつのだ。

 彼らはレイプをしたわけじゃない。自分に恋心を抱く女性を「東大生である自分と付き合いたい下心のあるバカ」とし、ノリで彼女を裸にして叩いたり人間扱いをしなかった。裸の彼女の上に乗ってカップラーメンをすすったりした。場を盛り上げるために。そして彼女が泣く理由も全くわかっていなかった。

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 なぜ私がここまでこの事件をひとごとじゃなく感じるのか、それはこれまで幾度となく「悪気ない」男性の口から耳を疑う発言を聞いてきたからだ。「合コンでノリの悪い女は最悪」「俺の先輩がいるのにあのつまらなそうな態度はなんだ」というセリフ、これがいかにやばいか。「女は男が盛り上がるための道具」という意識が無自覚に漏れ出ていて、その意識はホモソーシャルにのみ注がれている。セックスですらそうだ。何人と誰とセックスしたかは、友人同士で競うためにある。

 「誰が1番かわいい女を連れてこれるか勝負」「あの胸の大きい子友人好みだから呼んでよ」なんてのもある。別に男同士で仲いいのは結構、でも女を道具と思うな、人間として付き合え。ホモソでセックスするな、性欲でしろ。と、当たり前のことを思うのだ。

 これらは結局彼らの自己肯定感の低さを露呈している。自身の魅力に自信を持てないから他人を使って確認しようとするのだ、いくら頭が良いと思い上がろうとも、仮初めのプライドで固めようとも。自分の魅力を理解できていたら、自分に好意を持つ女性を「東大生に群がるバカ」なんて思わない。

 そして、そんなことしても彼らが満たされるわけはない。だから彼らはああやってホモソーシャルに依存するしかないのだ。その瞬間は無敵になれた気がする。でもその行く先は孤独でしかない、人を人間扱いできない人はそのうち自分を人間扱いしなくなるからだ。