「誰かに頼る」は人間としての基本動作
――正直、大人にもなったら、自分の人間関係の悩みは自分で解決するものだと考えていたので、周りからできる働きかけもこんなにあるのか、ということが意外でした。
林 今、世間には「自分のことは自分で」という風潮がありますよね。でも、しんどいときに誰かに頼るというのは、人間としての基本動作なんですよ。
困っているときに「人に安心して助けを求めたい」、「頼りたい」という欲求が裏返しの形で出ることもよくあると思います。すごく怒ったり、こちらに背を向けてかかわりを拒否したり……でも、実は「SOSを出したい」という気持ちが潜んでいるかもしれないということを忘れずに、根気よく「なにか役に立ちたいと思っているよ」「あなたのことをわかりたいと思っているよ」と投げかけてほしいなと思います。
「毒親」という言葉には慎重になるべき
――「世間の風潮」でいえば、親との関係に悩む人も本当に増えていますよね。子どもの人生に悪影響を及ぼす親を「毒親」と呼ぶ「毒親モノ」は一大ブームになっています。個々人のアタッチメント・スタイルが作られる上で、親との関係は非常に大きい要素ではないかと思いますが、先生はどうお考えですか。
林 カウンセリングに来られる方にも、「毒親」関連の書籍をお持ちになる方はいらっしゃいますね。でも、実は、わたしは「毒親」という言葉の扱いには慎重になるべきだと考えていて。
――なぜでしょう。
林 「うまくいかない親との関係を思いきって切ってしまおう」といったパワーをもらえるのだと思いますが、それは一時的なカンフル剤のようなところがあると思うんです。関係を断つことでしばらくラクになるとは思うんですが、親とのかかわりを「毒親」という箱に入れちゃった瞬間、全てを親のせいにして、自分の問題を棚上げし、見つめ直す機会が失われてしまう。
親との関係をあきらめて絶つことで良い結果があるケースも見てきましたが、そういった場合でも、「親にこうしてもらいたかったな」「親はどうしてあんなことをしてしまったのかな」と考えながらあきらめるほうが、関係が終わったことをうまく受け入れられたり、自分自身の成長につながったりするように思うんです。
――心を整理しながらあきらめることが重要なのですね。
林 そうですね。さらに、「毒親」という名前をつけちゃうことで、親が魔物みたいな、わけのわからない大きな存在になってしまうわけですよ。
「毒親」と名付けて切り捨てると、魔物の世界はそのまま残ってしまう。親とのまずいかかわりを乗り越えるためには、親を等身大に縮小し、良いところ、悪いところも含めて人間として理解することが大事なのかな、と思います。