井上ひさし、14年前の「自己責任論」
そんななか、次の記事が面白かった。
朝日新聞デジタルで読んだ「宮城」版の記事だ。
「井上ひさしさん『自己責任論』に異議、生前に語る」(11月4日)
朝日の宮城版もまた、2004年の言論状況を振り返っていたのである。
そこで紹介されていたのが、
《仙台文学館(仙台市)初代館長で作家の故・井上ひさしさんは、当時の文章講座で「自己責任の言葉の使い方を間違っている」と語り、日本社会のあり方を問うていた》
というエピソードだ。
井上氏は2004年5月15日に開かれた文章講座の中で、おもむろに3人へのバッシングについて「あれ、間違いなんです」と切り出したという。
《講座によると、「責任」の語源は「レスポンス(応答)」のラテン語にあり、「ここで問題になるのは、誰が何を誰の前に応えるのか」と説明。法律の前で、神の前で、社会の前で、自分の前で……。そう例示した上で、「自己責任という言葉は自分の前でしか使えない。自分が使命感を持ったら、それを果たすのが自己責任。志を立てたのにやらなかったら自分が許さない」と語りかけ、イラクに行った3人は、逆に自己責任を果たしたことになると説いた》
「弱い者は弱い者でいなければならず……」
自己責任という言葉は自分の前でしか使えない。なんというわかりやすい説明だろう。続けて、
《受講者から趣旨を確認する質問も出た。井上さんは「おまえの責任だ、と外側の言葉で使われ始めたのでおかしくなっている」と回答》
こちらもわかりやすい。
井上氏は人質になったうちの1人から記者会見の前に相談を受けたことを明かし、「一切の弁明をせず、現地の説明だけをしなさい」とアドバイスしたという。
「弱い者は弱い者でいなければならず、弱い者が意外な反撃をするとかさにかかってやっつける、というのが日本人の発想のクセになっている」
あれから14年経った。
井上ひさし氏の言葉は2018年の今こそ必要ではないだろうか?