留学生のアルバイトに対して“ユルい”日本
いま、日本には約31万人の留学生がいる。そのうちのほとんど、29.7万人がなんらかのアルバイトをしている(厚生労働省「外国人雇用状況の届出状況」2017年10月末)。留学生には“資格外活動”として「原則的に週28時間まで」のアルバイトが認められているからだ。
学生ビザでのアルバイトが原則的に許されていないアメリカなど比べれば、日本の状況はかなりユルい。
そのユルさが、“出稼ぎ留学生”の増加や質の悪い日本語学校を増やす一因にもなっている(このへんの実情については、拙著『コンビニ外国人』を参考にしてください)。
83年“資格外活動”解禁時の牧歌的なテンション
日本の留学生にはじめて“資格外活動”が解禁されたのは1983年。第1次中曽根内閣で入管法が改正され、週20時間程度のアルバイトができるようになった。
当時の世論はどのような反応だったのかと思って、閣議決定された当日(6月21日)の新聞を調べてみると、予想とは裏腹に好意的な記事が並んでいて少し驚いた。
「アルバイトを通じて、わが国の文化、社会を理解することが国際交流を深めるうえで有意義であるとの秦野法相の考え」(読売新聞)
「アルバイトの『原則自由化』は西欧先進国にも例がない。各国で事情が違うため、一概に比較が出来ない面はあるが、世界でも画期的な方針としている」(朝日新聞)
「秦野法相は『日本が国際社会の中で生きていくためには、各国からの留学生にいい印象を持ってもらうことも必要。アルバイト就業条件が厳しい、との声が多いので、改善するよう前向きに考えよ』と指示し、入管当局が具体策を検討していた」(日本経済新聞)
秦野章といえば、70年安保の時代には警視総監を務めた“武闘派”だが、アルバイト解禁の背景には「経済大国としての責任を果たすべき」というような、いまからすると少々牧歌的な意識があったようにも思われる。
この翌年には、留学生の数を10倍にしようという「留学生10万人計画」が施行された。
ちなみに『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という経済書が日米でベストセラーになったのが1979年。日本の自動車の生産台数がアメリカを抜いて世界第1位になったのが1980年のことである。それからまだ3年、4年という時代であった。