降りしきる雪の向こうに、炭鉱の立坑櫓(たてこうやぐら)を模したタワーが見えた。テーマパーク「石炭の歴史村」の象徴だった建造物だ。「村」にはジェットコースターや観覧車、ロボット館まであったのだが、これらは解体されて、もう存在しない。
北海道夕張市が二〇〇七年三月に財政破綻してから、今年で十年になる。不適切な経理を繰り返した末、標準的な行政運営をした場合の収入の八倍に当たる三百五十三億円の赤字を抱えて国家管理に転落した。
赤字の最大の原因とされた市の観光施設は三十以上あったが、多くが解体、放置、転用された。立坑櫓のタワーは、石炭博物館の付属施設としてかろうじて残ったものの、肝心の博物館は一六年中に、ゴールデンウイーク、夏休み、九月の連休しか開館しなかった。
市職員は二百六十三人から百三人に減らし、給与も二割削減した(当初は三割)。事業も市民生活に最低限必要なもの以外は縮小・廃止し、補助金も基本的に撤廃した。税や使用料・手数料は値上げし、七小学校と四中学校をそれぞれ一校ずつにするなど、施設も大幅に廃止した。
そうしてこの十二月までに百十億円ほどを返済し、さらに十年後の二七年三月までに残額を返す。気が遠くなるような返済計画である。
だがその借金が、もっと膨らむ恐れがあったにもかかわらず、市民団体のおかげで避けられた歴史があることは、あまり知られていない。しかもこの団体は、本来なら市が行うべき施設の建て替えや管理運営まで行っているのだ。
市内に事務局を置く「ユウパリコザクラの会」である。夕張岳の保護に取り組んでいる。
標高千六百六十七・八メートルの夕張岳は、同市と南富良野町にまたがる花の山だ。ユウパリコザクラやユウバリソウなど、この山だけに生える固有種が十以上ある。作家の故田中澄江さんも著書で「花の百名山」の一つに挙げた。
高山帯に花畑がある。ただしマグネシウムや重金属を含有する蛇紋岩が露出しているので、厳しい環境に耐えられる種しか生息できない。しかし湿原や岩場など変化に富む地形でもあるため、山全体では六百種以上の植物が確認されている。
この夕張岳でスキー場計画が明らかになったのは一九八八年だった。市が誘致する国土計画(現コクド)が、総延長八・二キロメートルと、高山帯にまで及ぶコースに、ゴンドラや高速リフト、展望レストランなどを建設する計画を立てたのだ。
大小十七もの炭鉱があった夕張市では閉山が相次ぎ、九〇年を最後に石炭産業は姿を消した。六〇年に十一万六千九百八人を数えた人口も、一五年の国勢調査では八千八百四十三人にまで減っている。
当時の故中田鉄治市長は「炭鉱から観光へ」をキャッチフレーズに、市の生き残りを観光に懸けていた。
「反対してほしい」。同市に住む主婦、水尾君尾さん(70)に電話が掛かってきたのは、計画が明らかになった頃のことだ。札幌市の見ず知らずの山岳愛好家や写真家が「市内で反対組織を作ってくれたら応援する」と言ってきた。子供達のために劇団などを招いて鑑賞する「おやこ劇場」の活動をしていたので、白羽の矢が立ったらしかった。