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過剰なバッシングは「文脈のない」ネット文化でこそ起こる

 だが、BTSを「絶対に許さない!」と叩き続けることにも躊躇いを覚える。そこには、あまりにフラットになった現在のネット社会の問題が関係している。

 ネット以前の社会では、原爆Tシャツにしても、ナチス帽にしても、ここまで炎上しなかっただろう。

 写真は、現在ほど容易に国外や非ファン(クレーマー)にまで拡散しなかったし、消費者も、「この媒体やアーティストはよもや本気ではあるまい」などと文脈を読み解き、それらを柔軟に解釈・受容していたからだ。

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 戦後の日本で、ナチスのシンボルや制服などが、あまり問題にされることもなく、大衆文化(ナチカル)のなかで広く消費されていたことなどはその証拠である(佐藤卓己編『ヒトラーの呪縛』)。

BTS ©︎AFLO

 だがネット社会では、文脈は考慮されず、写真1枚が光の速さで世界を駆け巡って火種となってしまう。

「政治的な正しさ」と大きな火薬庫

 ここに大きなリスクがある。今後、どのような政治的シンボルが問題になるかわからない。未来のメディア環境や「政治的な正しさ」を予想して完璧に振る舞うことなど、誰ができるだろうか。

 まして今日、写真も動画も日々大量に蓄積されている。それはまるで大きな火薬庫であって、今後同じような炎上事件が、国籍や政治的左右を問わずに発生する恐れがある。BTSに降りかかる火の粉は、けっして他人事ではないのだ。

 今回の騒動は、韓国云々を横においたほうが得るところが大きい。だからこそ、原爆Tシャツやナチス帽の使用は不用意・不注意だったと指摘しつつも、過剰なバッシングには同調したくないのである。

タイトル中、RADWIMPSの表記が間違えており、読者の方からの指摘で修正いたしました。お詫びいたします。(11/16  10:30)