「僕は、死ぬまで演じ続けられたらいいなって思っているんです」
──100%の信頼関係ですね。
石田 信じなければ前に進めないと思っていますからね。仕事だってそうでしょう?相手を信じなければいい仕事なんてできないですよね。
後から聞いた話なんですけれど、『ミラーマン』の時、最初の1クール撮影が終わって3000万円の赤字が出たそうです。あの頃、大映の映画スタッフが『ミラーマン』の撮影をやっていたので、まるっきり映画を撮る感覚でやっていたらしくてね。でも円谷一さんが「この作品に関しては、いくらかかってもいいから手を抜くな」って言ってくれて。円谷さんが、20歳そこそこの若造の僕とスタッフを100%信じてくれたから『ミラーマン』ができたんです。そして47年経った今でも覚えていて、応援してくれる人がいる。すごいことだと思います。
──そういう作品にめぐり会えたことを誇りに思いますか。
石田 ミラーマンという冠が強すぎて、払拭したいと思ったこともありましたが、今はミラーマンを演らせてもらえたことに心から感謝していますし、誇りに思っています。僕ね、思うんです。何があっても時が流れていくって。今苦しいと思っていることも必ず過去になるから、今現在が楽しければそれでいいんだと。だから、今この1分1秒を楽しみに生きていかれれば幸せだなって思っています。
──今を楽しみながら生きていくって、いいですね。
石田 でしょ?(笑) 僕は、死ぬまで演じ続けられたらいいなって思っているんです。『太陽にほえろ!』で共演した優ちゃん(故・松田優作さん)みたいに、最後まで俳優としてかっこよく生きられたらいいなと思っています。
彼は最初僕のことを「石田さん」って呼んでたのに、いつの間にか「石田ちゃん」って呼ぶようになったんです(笑)。でも下北沢のバーにプロデューサーと飲みに行った時、たまたま店にいた優ちゃんが「飲んでください」ってさりげなく焼酎のボトル出してくれたり、いいやつでね。映画『ブラック・レイン』に出演した直後に、地方のホテルのサウナで会ったんだけど、坐禅を組んで精神統一していて、ちょっと声がかけられない雰囲気があって。病気だと知らなくて、そのあとまもなく……。それが最後の思い出です。
──俳優のほかに、脚本を書いたり、講演をしたり多方面にわたって活躍されています。今後の目標を教えてください。
石田 僕、夢は欲だと思っていて、仕事を続けていくということが僕の欲でもあり、夢でもあるんです。だから、これからも、需要があればなんでもやります。お医者さんも「絶対治す」って言ってくれて、僕も「絶対治る」と思って闘っていますから、またインベーダーが来ても、退治すればいい。諦めずに、これからも闘い続けます。
写真=末永裕樹/文藝春秋
いしだ・のぶゆき/1950年8月30日生。秋田県出身。東宝演劇部を経て71年初冬、TBSドラマ『柔道一直線』で俳優デビュー。71年12月、CX(フジテレビ)の特撮ドラマ『ミラーマン』の主人公・鏡京太郎役で初主演。NHK銀河テレビ小説や大河ドラマをはじめ、『水戸黄門』『銭形平次』『必殺仕事人』などの大ヒット時代劇や『太陽にほえろ!』『GMEN'75』などの大人気ドラマシリーズにも出演。闘病生活を送りつつテレビ、映画、舞台など精力的に活動中。映画最新作『スケバンくノ一』が今冬公開予定。