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初めて会ったとき「中学1年と思えなかった」

 その後、藤井少年は小学4年の初夏に杉本昌隆七段の門下に入り、9月には関西の奨励会に入会する。

 奨励会二段だった三枚堂達也はその頃「異常に強い小学生がいる」とその名を聞く。とはいえ、奨励会は東西で分かれており、三枚堂は関東、藤井は関西に所属していたため、顔も知らず、当初は「ふーん」という程度だった。しかしその小学生の昇級、昇段ペースはこれまでのどの棋士よりも速かったため、三枚堂も興味を持ち始める。

藤井七段の公式戦2敗目の相手だった三枚堂達也六段 ©文藝春秋

「小学6年で初段とか二段という話が出て、けっこう意識するようにはなりました。これはすごいなと」

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 その後、史上最年少で三段になった中学1年の藤井には「史上5人目の中学生棋士」という期待がかかる。しかし三段昇段のタイミングがわずかに遅れ、三段リーグへの参加を中学2年の4月まで約半年待たされることになった。

 その頃、プロ棋士になって2年近く経っていた三枚堂は群馬の高崎にある三浦弘行九段の自宅で行われた合宿で藤井と初めて会った。藤井の師匠、杉本が三浦と仲が良く、名古屋から藤井を伴って研究会に参加していたのだ。三枚堂が振り返る。

「そこで将棋を指して、話をしたんです。中学1年とは思えなかった。ほんとに今みたいな感じで、落ち着いているんですね。精神年齢が高いというか、大人っぽい(笑)。いい意味でそうでした。やんちゃな部分が見えなかった。でも将棋をやっているときはすごく楽しそうにするので、そういった部分も結構印象に残っています」

「谷川浩司先生みたい」

 三枚堂は当時の藤井と将棋を指してみて「まだまだ序盤が確立されていない。伸びしろは大きい」と感じた。一方で中盤、終盤になると力を出す中学生に「才能を感じた」という。

「最終盤の詰みを読むのはもちろん早い。藤井君は別格なんですけど、でも、そこはプロはみんな早いんですね」

 三枚堂が目を惹かれたのはその一歩手前、終盤の寄せに向かうアプローチだ。

「詰みに向かう一歩手前のところ、そこを読み切るスピードがちょっと違うなと思いました。それこそ谷川浩司先生のような感じでしょうか」

 その後、藤井が三段リーグに参加する前に三枚堂はもう一度藤井と指す機会があった。半年経たないうちの再戦だったが、今度は三枚堂が負かされたのだという。

「序盤をかなり研究したと思うんです。やっぱりちょっと強くなっていると感じました」

この時代に最年少棋士が出るのは信じがたい

 佐々木勇気七段と幼いころから切磋琢磨してきた三枚堂は同世代、さらには羽生ら上の世代を見て戦ってきたはずである。そこへ突然下から、藤井のような存在が現れることについてはどう思っているのだろうか。

「ただ、自分は結構追い抜かされていますからね。後から来た人たちにけっこう抜かれているので。それでもこの時代に中学生で、かつ最年少の棋士が出るというのは信じがたいです」

 加藤一二三、谷川浩司、羽生善治、渡辺明と中学生棋士は過去に4人。加藤、谷川、羽生がプロになったときは、現在の三段リーグと四段昇段の仕組みが違っており、規定の成績(例会のなかで一定の勝ち星)を挙げれば良いという時代だった。

 今から30年前の1987年、現行の三段リーグが設立され、条件がさらに厳しくなり、基本的には年間4人しかプロになれなくなった。実は三枚堂はプロになる際、その厳しい三段リーグを一期で抜けるという、当時として14年半ぶりの快挙を達成している。

「でもその記録も見事に藤井君に並ばれました(藤井が2016年に1期抜け)。藤井君が抜けたときは『奨励会員、誰か止めてくれ。誰か止めて欲しい』と思った記憶があります(笑)。でも公式戦で29連勝する人だったら、それは1期で抜けますよね」

(『天才 藤井聡太』[文春文庫]より)

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