プレーヤーとしてアマチュア棋界の頂点に
鈴木は将棋教室の講師を務める一方で、プレイヤーとしても再び活動を始めた。
鈴木の住んでいる神奈川県、および関東地区は、アマ強豪がひしめく激戦区である。わずかな代表枠をめぐって、熾烈な争いが繰り広げられる。元奨励会三段という肩書だけで勝てるほどには、甘くない。
そうした中で鈴木は、たちまちのうちに好成績を収めていった。
2015年、鈴木は第32期アマチュア王将位大会(アマ王将戦)で全国大会優勝を果たした。
翌2016年、アマ名人戦では全国大会に出場。優勝した天野啓吾(兵庫県代表)に敗れはしたが、ベスト4にまで進出した。
2017年。奨励会退会後、アマチュアとなった従弟の森村が、アマ王将戦で優勝した。鈴木と森村は再び、神奈川県代表を争う関係になっていた。
「名人」は特別な存在である
2018年、鈴木は再びアマ名人戦全国大会に出場した。そのさなかの9月9日、鈴木は31歳の誕生日を迎えた。あの人生最悪の誕生日から、実に5年の歳月が流れていた。
古来、将棋を愛するすべての人々にとって、「名人」は特別な存在である。それと同様に「アマ名人」の称号は、アマ棋界においても特別な響きを持つ。
「いつかはアマ名人になりたい」
鈴木もそう考えていた。そしてあともう少しで、念願のアマ名人というところにまで駒を進めていた。
鈴木は本戦トーナメントの2回戦で、滋賀県代表の荒木隆と対戦した。鈴木と荒木には共通点がある。それは両者ともに、元奨励会三段だということだ。
2017年に巻き起こった藤井聡太フィーバーの中では、荒木の名はしばしば取り上げられた。2016年度前期三段リーグで、荒木は藤井と対戦した。そこで勝ったのは、若き天才藤井だった。藤井はその後も白星を重ねる。そして13勝5敗とリーグ最上位の成績をあげ、史上最年少の14歳2か月で四段昇段を果たした。一方で敗れた荒木は最終的に9勝9敗。勝ち越し延長規定に届かずに、年齢制限で退会となった。
鈴木から見て、荒木は少し歳下である。三段リーグで対戦することもなかった。この日の初めての対戦で、鈴木は荒木に大きくリードを奪われた。
「私は苦しい局面になることが多いんです」
鈴木はそう苦笑する。アマトップを争う場。鈴木が対戦する相手は、当然ながらみな強い。強敵にうまく指され、劣勢に立たされることは、珍しいことでも何でもない。
「将棋は辛抱ができるかどうかだと思います」
鈴木はそう語る。苦境に立たされた時にこそ、将棋プレイヤーは真価が問われる。決定的な差がつかぬよう、鈴木は辛抱を重ねた。そして残り時間も切迫した最終盤、鈴木は持ち駒の角を、攻防の位置に打った。勝負手だった。