11月30日、契約更改の席上でメジャー行きの夢を語ったDeNAベイスターズの筒香嘉智。日本を代表する打者からメジャーを代表する打者へ。しかしそんな筒香も、小学校低学年までは「平凡な野球少年」だったという。転機が訪れたのは小学校4年生のころ。少年・筒香に何があったのか――。自身初めての著書『空に向かってかっ飛ばせ!未来のアスリートたちへ』から一部を紹介する。

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 子供の頃を振り返ると、この小学校4年生という時期は、自分の野球人生の中で一つの転機だったかもしれません。

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 兄が和歌山に帰ってきて野球を教え始めてくれた。練習の拠点となったビニールハウスの打撃練習場が完成した。和歌山ニューメッツで、上級生のチームに入って試合に出始めるようになったのも、4年生のときでした。

和歌山ニューメッツ時代の筒香。マウンドに立つこともあった 

クリスマスプレゼントは井口資仁モデルのグローブ

 そして一番、嬉しかったのは、初めて自分用の新しいグローブを買ってもらったことです。小学校4年生のクリスマスでした。

 小学校2年生のときにニューメッツで本格的に野球を始めてから、使っていたのはずっと兄のお古。周りには真新しい自分用のグローブを買ってもらっている子もたくさんいました。

少年時代の筒香。自宅の居間で姉と

 プレーに不便を感じることはなかったですが、やっぱり〈新しい自分のグローブが欲しいなあ〉とずっと羨ましかったので、4年生のクリスマスを前に、サンタさんにお願いしました。

 するとクリスマスの朝、枕元には真新しいグローブが置いてあったというわけです。

 これはホントに嬉しかったのを覚えています。僕はその頃はニューメッツでショートを守っていたので、サンタさんはちゃんとSSKの井口資仁さんモデルのグローブをプレゼントしてくれました。それ以来、僕は井口さんの大ファンになりました。

 当時の井口さんはメジャーリーグに行く前で、ダイエーのショートを守っていました。守備範囲も広く肩も強くて、三遊間のゴロを捕球したスローイングのボールが、一直線に一塁手のミットに吸い込まれるところに憧れていました。井口モデルのグローブを手にすると、まるで自分にそんな井口さんが乗り移ったようで、フィールディングもスローイングも急にうまくなったような気分になっていました。

 小学校2年生頃から、テレビの野球中継もよく観ました。この頃はテレビの生中継を観るだけではなく、ビデオに録画して、好きな場面を何度も何度も繰り返して見返すのが寝る前の日課でした。4年生になると、兄との練習が始まったために、中継を生で見るより、録画して寝る前に観ることの方が多くなりました。

 もちろん井口さんのプレーも繰り返して観ましたが、それ以上にビデオが擦り切れるほど再生して観た選手が2人います。