「なんて凄いホームランを打つバッターなんだ!」
読売ジャイアンツの松井秀喜外野手と、大リーグ、サンフランシスコ・ジャイアンツのバリー・ボンズ外野手です。
野球好きの父は、有料のCS放送にも加入していました。おそらくそういう契約をしてくれたのだと思いますが、日本のプロ野球から大リーグ中継まで、ありとあらゆる試合を観ることができる環境が整っていました。
和歌山では、子供たちの間ではやはり阪神の人気が高かったので、阪神・巨人戦となると、翌日の学校でも試合の話題でみんなが盛り上がります。
でも、僕のお目当ては阪神ではなく、巨人の松井さんでした。僕にとって日本のホームランバッターと言えば、松井さん以外にはいなかったのです。
星稜高校時代の松井さんが、夏の甲子園大会で5打席連続敬遠された1992年、僕はまだ1歳にもなっていませんでした。ですから、僕が知っている松井さんは、プロ野球、巨人でホームランを連発していた背番号55番です。
小学校の2年生の頃でしたか、ゴジラと呼ばれてホームランを何本も打っている松井さんに興味を持ち、テレビで巨人戦を観ました。すると初めて観たその試合で、いきなりすごい飛距離のホームランを打ったのです。
「なんて凄いホームランを打つバッターなんだ!」
一発で虜(とりこ)になってしまいました。
それ以来、ナイターを観るなら巨人戦。ビデオに松井さんのホームランを何本も撮って、それを一生懸命に観るのが日課になっていきました。
そんな松井さん以上に、憧れたのはボンズです。ボンズのホームランは強烈で、「この人の方がもっとすごいじゃん!」と圧倒されてしまいました。
教室に張った目標は「バリー・ボンズになる」
僕がボンズを知ったのは、シーズン最多本塁打の世界記録で注目された2001年前後です。その頃はサンフランシスコ・ジャイアンツでプレーしていたので、テレビ中継するのは、僕が学校に行っている午前中からお昼くらいがほとんどでした。それを兄が毎日、ビデオで録画してくれていました。
学校から帰ると野球の練習をするので、夕ご飯を食べてからが、ボンズのビデオを観る時間でした。ホームランのシーンは、本当にビデオが擦り切れるくらいに繰り返し観ていました。
学校の教室の後ろの壁に自分の目標を張り出したときも、「ジャイアンツのバリー・ボンズになる」と書いていたぐらいです。
何が魅力だったのか。
すごいホームランを打つ。単純にそれだけでした。
後に薬物使用問題がクローズアップされることになったのは残念でしたが、僕にとってのヒーローは、やはりあの頃の彼なのです。